フレディ・マーキュリーが亡くなって31年 [音楽]
ソングライターだったフレディ・マーキュリーの31回目の命日です。
どうでも良いことですが、私が初めて香港に行ったのも、この日でした。
会社の研修で香港に飛び立つその日、成田空港でキャセイパシフィック航空の
香港行き(当時はまだ啓徳空港でした。)のB-747に乗って、客室乗務員から
新聞を受け取った際、ロックバンド、クィーンのフレディ・マーキュリーさん
エイズによって死去の記事が目に入りました。
成田空港をどのように離陸して、香港に着くまでの間、なにをしていたのかが
全く思い出せないぐらいの衝撃的な出来事でした。
1991年ですからインターネットなどない時代で、香港に着いてから情報収集の
術もなく、フレディ・マーキュリーのことは忘れるしかありませんでした。
※香港のニュースではクイーンの話題は出なかったような気がします。
ステージ衣装のデザインや革製の衣装を着たり、胸毛をさらけ出したり、髭を
蓄えたりする様子とロック系の雑誌の話から、確信はないもののゲイだという
認識は持っていましたが、後天性免疫不全症候群(エイズ)で亡くなることは
想像もしていませんでした。(噂はありましたが本人が否定する以上は、噂は
真実には有らずと思うようにしていました。)
2018年公開の映画「ボヘミアンラプソディー」を観て、男女問わず、好きだと
思った人とは、深い関係を築くことの出来るタイプの人(両性愛)だったこと
を改めて知ったわけですが、愛情と思わせて実は金銭欲を満たしたかっただけ
だったロクデナシも居たことで、フレディ・マーキュリーが感じた、孤独感は
かなりのものだったと思いますし、そういう経験が自堕落的な乱交パーティー
の開催にも繋がったのではないかと思います。
周囲の人の証言では、男性、女性ともかなりの人数と性的関係はあったようで
最後の恋人と公認されているジム・ハットン氏もエイズに感染しています。
「バイシクルレース」のシングル盤のジャケット写真(裸の女性が、自転車に
乗っている)など、世間の良識派を自認する人たちを騒がせることも多かった
わけですが、太く短く人生を賭け抜けたフレディ・マーキュリーはそんな人生
に満足しているのではないかと思います。
これからもフレディ・マーキュリーのような影響力のあるアーティストが出る
ことはないような気がします。
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