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縄文時代の助け合い思いやる心 [問題提起]

ちょっと前に現在、国立科学博物館の特別展でミイラの展示をしているという
話を書いたのですが、常設展の展示内容の中にもまだ観覧したことのない方に
是非、観ていただきたい展示がいろいろとあります。

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そんなの展示物の中で、もっとも現代社会の人間関係というか障害者や病弱者
経済的に困窮している生活弱者に対する政治家や成功者を自負する上から目線
の物言いに対して違和感を持つ人に観ていただきたい展示が縄文時代の遺構で
発掘された若い女性の遺骨(レプリカ)です。


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本来ならば常に上から目線の勘違い人間(あえて言うなら、堀江貴文みたいな
金の亡者)がこそ、見るべきであるという意見があるとは思うものの人として
の心のない鈍感な守銭奴が見たところで考えが変わるわけがないので、もっと
助け合い思いやる心を持った人が自分の考え方に間違いがないことを確認する
意味で見てもらう方が余程、意味があると私は思います。

遺骨の鑑定からおそらく10代後半で亡くなった女性の骨なんですが、手足の骨
が極端に細いため、体を支えて移動が可能とは考えられない状態から幼少時に
罹った病気によって、手足が動かなかったものと推測されるようです。

幼少時から手足が動かなくなった女性が10代後半で亡くなるまでの約20年間
を支えた周囲の人たちの介護の努力の結果が、四肢骨の細い遺骨に証拠として
残されていると解説されていました。

今のように多種類の介護用品があるわけではなく、自動車や車椅子などの移動
を補助する手段もなければ、食料品も自給自足なので現代の日本社会のように
働かざる者食うべからず的な発想であれば体が動かない人は死ぬ以外に選択肢
がないはずで、重篤な病気を患った場合は化学薬品もなければ手術をする医師
もいないという時代に、十数年を生きるということは簡単なことではなかった
というのは少し頭を使えば誰もが想像のつくことです。

薬草しかない時代に現代の小児麻痺のような病気になった時に、去り行こうと
する生命を手元に引き戻すだけでも大変な看病が必要だったでしょうし、命を
取り留めた後に生活品質を保つのは、その患者を大切に思う愛情やシンパシー
が限りなく続かなければ並大抵のことではないはずです。

手足が動かず、もしかしたら言葉も不自由で、寝たきりで日々を暮らしたかも
知れない女性を撫でさすり、食べ易い食事を作って介助をして、床ずれなどで
体が痛まないようにと体位を変えて、と小さなことから大きなことまで親だけ
(人生の短い時代ですから親も今ほどは長生きできなかったでしょう)でなく
同じ集落に住む人々が支えあって、約20年間の間に渡って看病、介護をした上
亡くなった後は手厚く葬るというのは現代ではお題目にしかならなくなった絆
が社会の中に確実に浸透していたということなのでしょう。

基本的人権の尊重が憲法の条文になっている現代社会でさえも差別的な偏見を
持つ人間が癌細胞のように増殖している現実を見ると地球上でもっとも進んだ
生き物であることを自負する人類は科学的な分野では短期間で進歩しましたが
他の生物に対しても同じ人間に対しても「心」の部分では退化しているとしか
思えないのが現状です。

でも、遠い昔の祖先の人達が仲間を慈しみ、簡単に見捨てることなくその生涯
を大切に見守り、見送ったという事実があったことは忘れてはいけない重要な
ことだと思います。(現代における社会保障も、それぞれの人が個人資産から
税金という形で拠出した財産を全ての人が心豊かに生きていくために使われる
のが本来の目的であり、権力欲に取りつかれた無能な政治家が自分の人気取り
目的で使うためのお金ではありません)

国立科学博物館に常設展示されていますので、もしも機会がありましたら彼女
の姿を見に行ってきて下さい。必ず、何か心に感じることがあるはずです。


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