神戸・淡路島に小旅行 -5 [トラベル]
と思っていたところ「野島断層保存館」へと向かいました。
淡路島に行ったら観光の前に、まず1995年1月17日に起きた兵庫県南部地震の
震源地に残されている野島断層を見に行きたいと思っていました。
発生した当時は阪神大震災、阪神淡路大震災と言われていましたが、現在では
兵庫県南部地震が正式な名称になっています。
国道43号線が倒壊した様子を再現している模型が入口にあります。
概要としては、1995年1月17日午前5時46分に淡路島北部を震源地としてM7.3
の世界でも稀な大きなエネルギーを放出する地震が発生し、最大震度7の激震
を記録して、死者6,434名、負傷者43,792名、H15年現在の行方不明者3名の
多大な人的被害と建物など公共物、私有財産に大きな損害を出しました。
震源地の北淡町では、地上の被害だけでなく地下の状況が変わることによって
地下水が止まる被害が続出し、給水車による水の供給と、簡易水道事業の推進
によって約3年半で給水は回復したものの水田耕作への影響は長引きました。
というような大災害によって地表に現れた野島断層に、屋根を付けて保存する
施設が野島断層保存館で、以前から行きたいと思っていたのでした。
建物の中に入ると断層保存ゾーンがあり、地震発生当時の断層がそのままの形
で保存されている様子を見ることが出来ます。
断層は二層に分かれていて、小さな段差と大きな段差になっています。
平面がこのように三段に分割されて隆起と陥没しているわけのですから、この
断層の上にあった建物は倒壊しますし、人間も立っていられないでしょうね。
この地震の時は愛知県でもかなり揺れましたが、道路が陥没したりする光景は
見ませんでしたが、東日本大震災の時は千葉県・船橋の本社に、仕事で行って
いたので地震が発生して外に避難した時には道路は陥没して段差が出来ていて
余震の時には道路と歩道の接合部が閉じたり開いたりして怖かったです。
土の部分からは液状化した土砂が噴き出ていて、会社の近くで広域避難場所と
して指定されていた公園は地中から水が噴き出て泥沼状態でした。
それでもこんな段差はありませんでしたから、実際にこの辺りで住んでいた人
は怖いなんてものじゃなかったと思います。
生け垣があって、それが段差になっているということは、この近くに家があり
人が暮らしていたわけですよね。天変地異そのものだったでしょうね。
連続する地割れの跡が、龍(ドラゴン)の鱗のように見えます。
昔の人は大きな災害が起きた後に現地に行って、このような現場を見たら天界
の龍の怒りによる爪痕だと考えても不思議ではない感じがします。
この話はまだ続きます。
千葉県も揺れたのですか。私自身はこの時の記憶というものが無いのですが、あまりにひど過ぎて知られてはいないのですが、京都の桂坂辺りも橋が落ち、一時孤立したらしいです。その近辺のみに被害が集中したみたいでした。
地震は避けようが無いです。怖ろしかったことと思います。上手く伝えられませんが。
by そら (2023-08-21 10:39)
そらさん:
コメントありがとうございます。
千葉で揺れたのは東日本大震災の時です。
偶然、仕事で千葉に行っていた時だったので。
地元は愛知県なので、兵庫県南部地震の時は割と揺れました。
地盤の固さとか、断層があるかによって、少しの差で家が倒壊したり
全く無傷だったりの差が出るのが地震ですね。
愛知県の尾張地方は濃尾地震の時の断層があるので、大きな地震が発生
した場合、大きな段差が出来るリスクがあります。
生きるためにどうするか、の前に死なないためにどうするかの準備を
しないとダメだなと思いつつ、なにもしていません。
by suzuran (2023-08-21 20:55)
翌日のニュースで見た映像がいまだに忘れられません。
by ナツパパ (2023-08-22 09:03)
ナツパパさん:
コメントありがとうございます。
高速道路の橋脚が横倒しになっている映像を見て、ただごとではないな
と思いましたが、その日の夜のニュースでは延々と亡くなった人の名前が
読み上げられているのを聞いて、なんとも言葉が出ませんでした。
地震の後、家の事情で熊本に行くことになり、名古屋に帰る便が全く
空席がなかったので、大阪空港に降りましたが着陸する直前、大阪市内
の上空を飛んだ時には、屋根の上がブルーシートで覆われている住宅が
かなりあって、地震から三か月後でしたが本当に大きな被害が出たと
いうのが実感として感じました。
by suzuran (2023-08-22 20:46)