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死亡遊戯【1978年・香港映画】U-NEXT 見放題 [シネマクラブ]

1973年7月20日、香港の病院で脳浮腫のためブルース・リーは死去しました。
ということで、この映画が公開された1978年は、主演者が亡くなってから5年
の歳月を経て公開されたことになります。



ブルース・リーが、自ら脚本・監督・主演をしてゴールデンハーベストが製作
していた「死亡遊戯」は、クライマックスのアクションシーンの撮影を終えた
段階で、ハリウッドのワーナーブラザーズとコンコルドプロダクションが製作
する「燃えよドラゴン」の撮影を先行するスケジュールが優先され、アメリカ
からロバート・クローズ監督とスタッフが香港で撮影をしました。
コンコルドプロダクションは、ブルース・リーの製作会社です。


この映画の撮影が終わり、アメリカで公開が始まって大ヒットを記録した時に
香港映画のスーパースターだったブルース・リーは既に故人でした。

ということで、ブルース・リーが満を持して準備を進めていた「死亡遊戯」は
未完成のまま遺され、映画を完成させるためにゴールデンハーベストの社長で
プロデューサーのレイモンド・チョウは香港映画界だけでなく、アメリカなど
世界各国の映画関係者に助力を求め、最終的に「燃えよドラゴン」の監督でも
あったロバート・クローズにフィルムを託し、完成させたのが今作です。



ロバート・クローズは過去の全ての作品のフィルムをチェックし、新たに創作
したストーリーに沿って必要なシーンを繋ぎ合わせ、不足するシーンは香港で
オーディションを行い、近影、アクションシーンなどのパート毎に、似ている
俳優を探して撮影を行い、クライマックスシーンへ導入するという方法で映画
の撮影を進め、有名な作曲家であるジョン・バリーが音楽を担当しました。

ブルース・リーと縁のあるユン・ピョウやサモハン・キンポーなども出演して
当時の香港映画(ゴールデンハーベスト)と関係する多くの俳優たちによって
この映画は完成しました。

主要なアクションシーンは、「ドラゴンへの道」の中の役名であるタン・ロン
と同名の俳優、タン・ロンが演じましたが、2011年8月26日に食道静脈瘤破裂
のために急逝しているようです。



ブルース・リーと、身長2mを超えるカリーム・アブドール・ジャバーが戦う
シーン(当時は、動画が公開される技術はなかったので、画像のみの公開)は
映画公開前から極秘の網を潜り抜けて流出していましたが、実際に戦う場面が
公開された時は、なんとも言葉の出ない感動がありました。

ストーリー自体は、映画のほぼ75%が後から創作されたものですから、実際に
ブルース・リーが考えていたものとは大きく違うと思いますし、敵対する相手
の拠点に殴り込みをかけたのは夜のはずなのに、窓の障子が破れた時に青空が
見えたりするチグハグな場面はありますが、それはまあ仕方ないです。



亡くなって49年が経過しても、ブルース・リーの名前は、アクションスターの
代表的な存在として残っています。
年代的にはブルース・リーの最期の作品は「燃えよドラゴン」ですが、その前
に彼が監督として遺した戦いのシーンは是非とも観ていただきたいです。

註)その後、さらに残されていた未公開フィルムを繋ぎ合わせて、タン・ロン
  が隠れた主演として作られた「死亡の塔」という映画も作られていますが
  あれは、個人的にはお勧めできません。ストーリーが雑過ぎます。


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