西郷さんの座右の銘・敬天愛人 [ドラマ(海外・国内)]
離婚と結婚が複数回あり、島流しも経験している苦労人でありながら自身
の立身出世に熱心なわけではなく、長州・薩摩藩が中心になって樹立した
明治政府で権力に固執することなく故郷の鹿児島に戻って私学校を開設し
後進の指導に努めて、自身の野望よりも次世代の育成を優先した、鹿児島
で現在も尊敬を集めている幕末の偉人です。
この西郷隆盛の座右の銘がタイトルに書いた敬天愛人という言葉です。
坂本竜馬や高杉晋作、木戸孝允と同様に江戸幕府の無血開城を実現した、
幕末の志士でありながら、最終的には国家に対する反逆者として官軍との
戦いを進めたものの志半ばにして頓挫し、郷土の地で自決するという運命
を辿った人で、一部の考え方については私個人としては賛同できかねない
部分はありますが、日本を徳川一族の世襲政治から開放した人たちの一人
として尊敬に値する人物だと思っています。
国家に対して反旗を翻した人というように考えたら、例え出身地だろうが
郷土の英雄的な扱いはしてもらえないのが普通だと思いますが、西郷さん
については、地元に銅像も建立されて、田原坂の戦いや西南の役そのもの
も西郷さん寄りの悲劇的な話として語り継がれているのはなぜか?
その答えの一つが、この敬天愛人という座右の銘にあるのではないか?と
いうのが私的な考え方です。
道は天地自然の物にして人は之を行ふものなれば天を敬するを目的とす。
天は人も我も同一に愛し給ふ故、我を愛する心を以て人を愛するなり
自然を敬い、人を愛するということを原点として、自分を大切に思う心で
他の人を愛するという、西郷さんの考え方が多くの人の心を動かしたので
自決してもなお、多くの人に人柄を称えられ、器の大きな人だったという
エピソードが数多く残っているのだと思います。
同じ薩摩の出身でも、明治政府の元勲であり冷静な理論家として知られる
大久保利通が西郷さんほどの人気がないのは、熱い想いを高ぶらせる人と
冷静に知略を進める人という特性の違いから来ていると思います。
ただ大久保利通が西郷さんを嫌っていた、という証拠は確認されておらず
西南戦争で政府として薩摩に兵隊を差し向けたのは事実ですが、西郷さん
を討ち取れという命令は出ておらず、大久保利通本人が鹿児島まで出向き
西郷さんと直接、戦ったという史実はありませんので、心の中では何とか
最悪の状況になる前に投降してほしいという願いはあったはずです。
城山で怪我をした西郷さんが自決したという報せを受けた際に、冷静さを
失ったというエピソードは有名で、西郷さんの死を望んではいなかったと
思われますが、鹿児島に向けて挙兵したことに対する地元鹿児島の人たち
の批判的な見方は今でも残っていて、大久保利通に対する地元民の人気は
今でもありません。
そんな西郷さんの人柄を思いながら「西郷どん」を見ると、ちょっと深い
見方が出来るのではないかと思います。
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