ソウルにお出かけ 2023年・秋-6 [トラベル]
まだまだ赤い葉っぱと緑の葉っぱが混ざっている状態で、秋が深まったという
感じではありませんでした。
徳寿宮は元々は王宮ではなく、豊臣秀吉の朝鮮出兵の際に日本の侵略者により
王宮が燃やされてしまったことから仮の王宮として使われていたところです。
1592年に文禄・慶長の役で王宮が全焼した後、当時の王・宣祖が避難していた
義州からソウルに戻るまでは仮の王宮として使われていましたが、主のいない
仮の王宮は行宮(離宮)になり、かなり荒れ果てていたと伝えられています。
宣祖が義州に避難している間に、世子の光海君が地方からの援軍を呼びかけて
日本からの侵略軍を撃退し、朝鮮に平和が戻ってから宣祖が王として復帰した
際に行宮に住むようになりましたが、正式に王宮になったのは世子の光海君が
後を継いで第15代・王に即位してから三年後の1611年のことでした。
この時は慶運宮と呼ばれて王宮として使われていましたが、1615年には昌徳宮
に王の拠点を移したため再び離宮として270年間使われてきました。
その後、いろいろな出来事があり徳寿宮という名称になりました。
朝鮮から大韓帝国に国名が変わり、皇帝・高宗の時代になっても、日本からの
干渉、侵略行為は続き、日本からの譲位を強要された上、1919年1月22日には
大日本帝国の差し金により高宗が毒殺されるという、3・1独立運動の原因に
なった出来事が起きた場所でもあります。
ということで、徳寿宮は朝鮮時代の故宮というよりは大韓帝国になってからの
石造りの石造殿や西洋式の建物が多く、韓国ドラマの時代劇の雰囲気を感じる
には、ちょっと合わない場所だと感じているので、今回の旅行では正殿である
中和殿を中心に早回りで観てきました。(次の予定もあったので)
中和殿は李朝時代の建物で、1906年に作られた建物です。
王の即位式、外国からの使節団の歓迎儀式などの公式行事が行われました。
この建物に続く道の左右には品階石が設置されていて、公式行事の際には臣下
はそれぞれの階級の石の横に整列したようです。
正殿に向かって右側が文官、左側が武官が整列したそうです。
徳寿宮を一回りしてから、次に目指したのは景福宮です。
こちらは韓国ドラマでもお馴染みの光景が見られるので、今回の同行者の方々
も一番楽しみにしていた場所です。
地下鉄のストライキでタクシーの空車台数が激減していた上、市庁前の広場は
デモの人波で埋め尽くされている状態だったので、いつもならタクシーを使う
距離ですが、光化門前広場を通って景福宮まで歩きました。
その様子は次回にて。
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