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アイルトン・セナの死去から29年 [訃報・追悼]

イモラ・サーキットで個人的にF1の神様だったアイルトン・セナが本当に天に
召されてから、5月1日で29年になりました。
現地からセナの訃報を伝えた今宮淳さんも今はもういません。



人から感情をあまり表に出さないタイプだと言われて、昔の上司からは宇宙人
だと言われたこともありますが、セナが亡くなった夜の特番を見て、自分でも
驚くぐらい涙が出たのを覚えています。

ホンダがF1からの撤退を表明した時、セナが涙ながらにホンダの撤退を惜しみ
いつかまたホンダに乗ると言っていましたが、その願いは叶いませんでした。


1993年末、当時の最強チームだったウィリアムズに移籍して新しい年を迎えた
ものの1994年は初戦からリタイアが続き、第3戦のサンマリノグランプリでの
雪辱を誓っていましたが、終始、浮かない表情でレースに参加していたセナは
自分自身に起きる大きな出来事を予感していたかのようでした。

1994年のサンマリノ・グランプリでは、金曜日のフリー走行時にルーベンス
・バリチェロが事故に遭って、鼻骨を骨折し、土曜日の予選ではローランド・
ラッツェンバーガーがコンクリートウォールに衝突して死去。





そして決勝のタンブレロコーナーで、制御不能に陥ったセナのマシンは高速で
コンクリートウォールに激突し、激しく壊れたサスペンションの一部が凶器に
なってセナのヘルメットを突き破り、その後の発表で即死だとされました。
セナは臓器移植のドナー登録もしていましたが、医学的な理由により移植には
適さなかったという話もありました。



呪われた週末と言われたように、三日間の開催期間中、連日事故が起きて二人
のドライバーが亡くなり、一人が大怪我をしました。
また、決勝当日にはスタート直後に衝突事故が発生し、事故車のパーツにより
観客が怪我をしたり、レース後半にはピットレーン内でリアタイヤが外れると
いうアクシデントがありピットクルーが怪我をしています。

セナが事故死した後、車載無線でライバルだった、アラン・プロストに対して
「僕たち全員が君がいなくなって、寂しいよ」と話しかけたことも話題になり
やはりセナは何かを予感していたという話が出たりしました。

自分自身は実物のセナを見たことはありませんが、友人が鈴鹿サーキットでの
レース後に、近鉄の白子駅(鈴鹿サーキットの最寄り駅)で、セナを見かけて
握手を求めたところ、嫌な素振りをすることもなく握手をしてくれて、とても
優しい紳士的な人だったと絶賛していました。

来年でセナが亡くなって30年です。
マックス・フェルスタッペンも、シャルル・ルクレールも、速いドライバーで
あることは疑う余地もありませんが、個人的にアイルトン・セナを超える人は
今までも、これからも出てくることは無いでしょう。



F1中継をしていた古舘伊知郎さんが付けた「音速の貴公子」というネーミング
はとてつもなく素晴らしい呼び名だと今でも思っています。


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