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藤波辰爾・デビュー50周年 [スポーツ]

プロレスの藤波辰爾選手が5月9日で、デビュー50周年になりました。
中学時代から学校をさぼって、大分市内で働いていた兄にチケットを用意して
もらって、実家から約4時間(実家は大分県東国東郡)かかる山道を自転車で
走って大分市内に出て、当時はまだ日本プロレスの頃でしたが、プロレスラー
に憧れていた少年時代だったようです。



中学を卒業後、工場で働いていましたが、どうしてもプロレスラーに会いたい
という一心で大分出身のプロレスラーが怪我の治療のために別府温泉で湯治を
していることを知り、兄と一緒に旅館を探して回り、プロレスラーになりたい
という意志を伝えると東京まで同行してくれて、日本プロレス入門することが
出来たということで、最初はアントニオ猪木の付き人をしながらプロレスラー
の人生を歩み出したという辺りは聞いたことがあります。


運が良いのか悪いのか、入門から半年後にアントニオ猪木は日本プロレスから
除名され、新日本プロレスを立ち上げ、一緒に続いた藤波選手は団体の創設と
共にプロレスラーとしての基礎を積み上げていったわけです。

当時の試合数は年間200試合以上、下積みからのスタートだったため専修大学
のレスリング部でオリンピックへの出場経験もある長州力選手がエリート枠で
招かれて、海外武者修行にも先に行くことになって、悔しい思いもしたものの
自身も海外武者修行に出て、当時のNWAでデビューし、WWWF(現WWF)
のジュニアヘビー級チャンピオンになって凱旋帰国、人気選手になりました。

藤波選手の華やかな活躍に対して、今一つ盛り上がりに欠けていた長州力選手
との抗争が勃発し、古舘伊知郎アナウンサーの「名勝負数え歌」の実況中継は
盛り上がりましたが、長州力選手のジャパンプロレス設立と、全日本プロレス
によって完結しないままで終わったのは残念でしたが、今、二人仲良くテレビ
で昔話をしているのを見ていると思わず、笑顔になってしまいます。



日本人としてはアントニオ猪木氏に続いて二人目のWWE殿堂入りを果たして
今は日本のレジェンドを称えようと「日本プロレス殿堂会」を、長州力さんや
天龍源一郎さんと一緒に設立して活躍するのもならず、67歳の今も現役として
ドラディションの代表も兼ねて、プロレスラーとして活躍しています。



基本的にジャイアント馬場、ジャンボ鶴田の全日本プロレスは好きではないと
いう個人的な見方で、闘魂注入ビンタはどうかと思いますが新日本プロレスの
選手の方が好きなので、藤波選手にはとにかく怪我がなく、リングの上で死ぬ
なんてことがないように無理をしないで体力の続く限り続けて欲しいです。

直接は関係ありませんが、入院していた天龍源一郎さんが退院しました。
また、元気に長州力さんと日本一滑舌の悪い選手権を戦って欲しいです。


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