ソウルへの旅・9月編-8 [トラベル]
この日は午後にはソウル・仁川国際空港から帰る日だったので朝早めに起きて
景福宮(1392年から1910年まで続いた朝鮮王朝時代の宮殿)で行われる衛兵
の交代式を含む古宮の見学に出かけました。
明洞からだと地下鉄4号線で忠武路まで移動して3号線に乗り換え、景福宮まで
というルートになりますが、そこはあえて乙支路入口側に出て、ロッテホテル
の前を通り、ソウル市庁の前で徳寿宮を見ながら右に折れて光化門広場を抜け
景福宮というルートを歩いて行きました。
普段の運動不足(仕事の日に歩く量は1,500歩ぐらい)の影響で歩くのは少々
難ありではありましたが、街中を歩くと位置関係がはっきりと理解できるので
地下鉄で景色を見ないで移動するよりも今後のためになるかと思いました。
市庁の前からは以前に焼失して再建された南大門が見えます。
ザ・プラザソウルの前のソウル広場からだと、もう少し下の方まで見ることが
出来ました。こちらまで歩いて行くと南大門市場があります。
振り返るとソウル市庁舎です。
以前は手前側の旧庁舎でしたが、現在は外壁がガラス張りでとても市役所とは
思えない新庁舎が後方に作られています。
ここから光化門までは、まだまだ長い道程ですが真夏ではないのでゆっくりと
無理をしないように歩きました。
ソウルで大規模なデモがある時には多くの群衆が詰めかけている光化門広場に
到着すると李舜臣将軍の銅像が立っています。
日本から豊臣秀吉が朝鮮征伐(他国に対する侵略戦争を征伐と表現する歴史の
教科書の表現はおかしいのでは?と中学生の時に思いました)を命じ、後には
熊本城を築城した加藤清正が対峙したのが李舜臣将軍です。
通常の甲板を作らず、全体を亀の甲羅に見立てた亀甲船を開発して、敵からの
攻撃を防ぐと共に内部から砲撃するための砲口を並べた軍艦によって豊臣軍の
侵攻を食い止めた韓国の英雄として釜山タワーの下にも銅像があります。
さらに足を進めると韓国のみならず北朝鮮においても現時点での標準語として
使われているハングルを考案したとされる世宗大王の像がありました。
世宗大王の最大の功績はハングル文字の制定だとされていますが、その他にも
天文学、気象学、印刷技術の発展も後押ししたとされていて、現代においても
多くの国民の尊敬を集めているのが世宗大王です。
韓国初のイージス艦の艦名としても採用されていますし、世宗ホテルなど多く
の施設や南極基地の名前も世宗基地です。10,000ウォン札の肖像にも採用され
韓国へ行った際にお目にかかる機会はとても多い韓国の偉人です。
ホテルから約2キロの距離なので、都会で電車通勤している人からすれば特に
長いとは思わない距離かも知れませんが公共交通機関が発達していなくて車で
通勤している立場からすると長く感じました。
ここまでで長くなってしまったので景福宮の話は次回に持ち越します。
征伐という言葉で思い出しました。中学校の図書館で読んだ本。坂上田村麻呂による蝦夷征伐。蝦夷(今の東北地方)を「征伐」しようとする大和朝廷に強い憤りを感じました。
by リス太郎 (2019-10-22 04:23)
リス太郎さん:
コメントありがとうございます。
征伐という言葉は「罪のある者や反逆者などを攻め討つこと」ですからね。
大和朝廷、豊臣秀吉の時代から権力者に逆らう者は「悪」として攻める
ことが正当化されていたのが日本の権力者の考えなんですよね。
蝦夷も朝鮮も自国の国益を考え、言われるがままに権力者に従うはずが
ないわけですが、その反発を反逆に置き換える日本の考えは単純に侵略
であって征伐ではないわけです。同じく憤りを感じます。
いまだに「悪夢の民主党」なんて言っているバカな党首(残念なことに
このバカの政党が与党なために総理大臣です)がいますが、自分たちと
意見が合わないと反逆者と考える進歩のない大バカが権力を持っている
のが現在の日本なわけで、醜態晒しまくりのオリンピックとか被災者を
政権の宣伝に使うような権力者が跋扈する安倍政権は異常です。
by suzuran (2019-10-23 22:51)