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ニキ・ラウダ氏が肺移植 [モータースポーツ]

メルセデスAMGチームで非常勤会長を務める元ワールドチャンピオンの
ニキ・ラウダ氏がF1のサマーバケーション中に感染症にかかり、休暇を
中止して肺の移植手術を受け、手術は成功したようです。



1975年にフェラーリでワールドチャンピオンになり、1976年にも
二年連続のワールドチャンピオンが有力視されていましたが、ドイツGP
のニュルブルクリンクで事故を起こし、車は炎上して右耳が変形し顔にも
大きな痕の残る大火傷を負ってしまったために、シーズン後半は欠場する
ものだと思われていましたが、イタリアGPから復帰してフェニックスと
呼ばれた強運の人ですから、普通に肺移植なんて聞くと重篤な症状だろう
と思いますが、特にそのようなことは報道されていなくて、のどに出来た
小さなポリープを手術したぐらいの小さな扱いになっています。


1976年の事故の際には最終戦の日本GPの結果次第で、ニキ・ラウダ
が連覇を果たすか、ジェームス・ハントが初のワールドチャンピオン獲得
というどちらになっても大きな出来事になることが期待されていたことで
初めて日本で開催されるF1という点はあまり話題にならなくて、海外の
報道関係者にとってはラウダとハントの頂上決戦の方が遥かに関心が高い
レースとして豪雨の中で開催されました。





この頃のモータースポーツに対する世間の目は暴走族のリーダーみたいな
輩たちが市街地からサーキットに場所を変えただけみたいな偏見を持った
イメージで見られていた上、実際にサーキットの来場者もF1ドライバー
のステイタスの高さを知らないような客が多かったようですね。

それはともかくとして、優勝すれば確定、もし二位以下であったとしても
ジェームズ・ハントよりも上位であれば二連覇という3ポイント差で実施
されたレースは、コース上に川のような流れが出来るほどの悪条件だった
ためにニキ・ラウダはリタイヤを決断し、車を降りると結果を見ることも
なく帰国のために空港へ向かい、ジェームズ・ハントは三位で完走をして
4ポイントを獲得し、逆転してワールドチャンピオンになりました。



このあたりのドラマチックな部分は映画「ラッシュ/プライドと友情」で
描かれていますが、ニキ・ラウダの役の吹替が「Kinki_Kids」
の堂本剛(彼に悪いところはないと思いますが、普通の映画ファンからは
評判は最悪でしたね)だったのは映画会社の大失態だと思います。

どう考えてもF1をテーマにした映画で、ジャニーズはないですよ。
近藤真彦がレポーターとかやってましたが、本人はどう思っているか全く
興味はありませんが、趣味でレースに参加しているとしか思えないレベル
の近藤真彦に、F1ドライバーの技術や心理状態なんて伝えられるわけが
ないじゃないですか。

ジャニーズ事務所では雲の上の存在らしいですけど、何かの間違いで紅白
に出た時もなんで賞味期限切れの昔の名前で出ていますの人が出てるの?
とネガティブな意味で話題になった人ですからね、映画会社に何かの交換
条件として出させたんじゃないかと思いますが違和感しか残らない吹替は
やる意味がないと思います。

また話が逸れましたが、この76年の事故の際には火傷だけでなく燃えた
車体のFRPから出たガスを吸って肺に損傷を受けているので、そんなに
重篤な感染症でなくても肺に対する負担が大きかったのかも知れません。

そんなわけで手術はしたみたいですが、バケーションシーズンが明けたら
復帰する方向のようなので、メルセデスのピットが映った時にはいつもと
同様にトト・ヴォルフの横でモニターを見つめる姿が見られそうです。




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