全裸の芸はハイレベルなのか [芸能]
(終わったコンテンツ)だと批判したことに対して、爆笑問題の太田光が
日本のお笑いがレベルが高いと反論しています。
茂木氏は政治家を批判することなく弱者や仲間内の内輪受けのようなネタ
しかできない日本のお笑い芸人は権力を笑い飛ばす知恵もなければ勇気も
ないと評しているわけで、私も個人的にはそう思っています。
いわゆる一発芸で、その芸が飽きられると一発芸人として消えていく。
R-1とかM-1とか芸人のコンテストが多いということは、常に供給を
しないと消費されて消えていく芸人の補充か利かないということであって
そんな実情を見ている限り日本の芸人が多才で、多様性があり海外と比較
してレベルが高いとは思えません。
笑いの感性は悲しみの感性よりも複雑であり、泣かせるよりも笑わせると
いうことの方が難しいだろうなとは思いますし、それぞれの国で共感性は
違いますから単純に海外が優れているとは言いませんが、その逆の見方で
海外よりも日本の芸人が面白いというのは、そもそも比較の対象としては
適切ではないと思いますから、日本人の笑いの感性で海外のコメディアン
は面白くないというのは本質的なすり替えであって正論ではありません。
R-1でグランプリになったアキラ100%の全裸芸について、爆笑問題
の太田は「ナンセンスですけど、あれは結局ね、局部を映しちゃいけない
っていうことを茶化してるわけですよ。」と言っていますが、そんな深い
考えで見ている視聴者がどれだけいるのでしょうね、自分だったらとても
出来ないなという枠組みを設定して、その枠をはみ出たことに対して笑う
という共感性を感じているというのが実際ではないでしょうか、というか
そもそも面白いということに対して理由が必要だとは思わないでしょう。
それを太田は「あれをゴールデンのど真ん中でやって、みんなでゲラゲラ
笑ってる。それは日本人の客のレベルが高いってことなんですよ」と何の
脈絡もなく日本人の客のレベルという方向に話を振っていますが、裸踊り
を見て笑うなんてのは宴会芸の時代から変わっていません。
ゴールデンタイムなんてのはテレビ局の決めた商売の基準であって視聴者
が選りすぐられている時間帯だという見方をする人はいませんよ。
さらに言うなら裸の芸の原点というか、見えそうで見えないという芸では
「タオルダンス」をしているレ・ボー・フレールのパクリ芸だと言われて
全く違うと否定することは難しいと思います。
裸であっても局部を見せないために努力をしているとしても、これからの
芸の進化、深化はどうしていくのでしょうか。
その辺りまでを考えていなければ、やはり一発芸で終わってしまうわけで
批判をされて頭に血が上って反論しただけのような爆笑問題の意見を読み
日本でそれなりに評価されていると思われるお笑い芸人の精一杯の持論が
たいしたことではないことに失望するとともに、やはりお笑い芸人の質は
落ちているんだなと実感しました。
オワコンと言われて自分たちのオワコンぶりを曝け出した爆笑問題の太田
も最近は安倍政権の提灯持ちですからね、確かに終わっています。
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