伊豆は子供が小さい頃に下田から松崎、浄蓮の滝、天城いのしし村なんて感じ
で中伊豆、西伊豆、南伊豆、そして熱海から河津桜、稲取と伊豆急を利用して
東伊豆も行っていますが、土肥に行ったのは初めてです。
純金を主食にするゴルドンさん
なので、以前から名前だけは聞いたことがある土肥金山も初めて行きました。
佐渡島もいつか行ってみたいと思っていますが、金山というと子供の頃に見た
ウルトラマンに登場したゴルドンのイメージが強くて、かなり大掛かりな鉱山
という感じだと思っていましたが、人間の身長よりも多少高いぐらいの坑道を
アリの巣のように掘り進んでいたので、生産性という観点から見たら、採掘に
要するコストを考えたら、なかなか事業としては厳しいかも知れませんね。
土肥金山は江戸時代から昭和の初めまで金を採掘し、江戸時代には徳川幕府の
財政の一翼を担ったわけですが、資源はいつか枯渇するという自然の摂理には
逆らえず、昭和40年に閉山となり、鉱山の跡地を再利用して坑道を再整備し
350mの周回路を設定して観光業に転換、金のテーマパークとして土肥金山と
して現在に至るというのが大雑把な歴史になります。
広い駐車場に車を停めて、建物の中に入るとお土産屋さんと二階がレストラン
団体さんもお食事できますよという一般的な観光施設になっています。
入場料が必要なのが、観光坑道と黄金館(250kgの金塊が鎮座)の見学が共通
チケットになっていて大人1,000円(桜まつり期間だったので500円でした)
それとは別に砂の中から砂金を探し出す砂金取り体験が30分で750円。
一瞬、やってみたいという、衝動に駆られたものの時間もあまりなかったので
止めときました。(750円相当の砂金を見つけることは無理でしょう)
観光坑道の中は江戸時代の様子を再現するというコンセプトなので、入場口に
立っているのも江戸時代の下っ端役人という感じのおじさん人形です。
坑道に入る前には池があり黄金の鯉が泳いでいます。
鯉のおやつが100円で販売されていたので、パーッと気前良くばら撒くような
ことはしないで、様子を見ながらパラパラと池に撒くと、怒涛の勢いで大きな
口をパクパクさせながら無数の鯉が寄ってきました。
これで少しは金運が付くなら安いものですが、世の中そうは甘くないです。
いよいよ中に入ります。一昔前の「風雲たけし城」の入口みたいです。
中に入ると奥にある山神社と名付けられた御社まで真っ直ぐな道です。
この暗くて細い道の総延長が100kmあるらしいですから、最盛期にはかなりの
人がこの坑内で作業をしていたのでしょう。特に記述がなく石炭のように爆発
事故が起きるリスクは低いので、何十人もの人が死傷するような、大きな労災
事故は起きていないかも知れませんが、酸欠などで亡くなっている人もゼロと
いうことはないような気はします。
山神社は金箔が貼られていると書かれていましたが、鳥居のところどころには
削られたような痕跡があったので、少しでも金の欠片を持って帰ろうと考える
あさましい人もいるんでしょうね、酔った勢いかわかりませんが、金箔と表記
はされていますが、簡単に削られるようなところには、貼るとは思えないので
ただ、恥を晒しただけのことになると思います。
霊験のあるパワースポットらしいので、一応は、お金持ちになりたいとお願い
だけはしてきました。信じる者は救われるかも知れません。
さらに奥に進むと坑内に湧き出した泉の水辺で水替え作業をしていました。
外気に触れていない水だからか、とても透明度の高いきれいな水でした。
この泉の横に黄金の泉、銭洗い場というのがあって、ここの水でお金を洗うと
そのお金が金運を呼び込むということなので、財布の小銭を洗いはしましたが
どのお金を洗ったのかがわからずに使ってしまっているので、コンビニの釣銭
になって誰かに金運を呼び込んでいるかも知れません。
短くまとめようと思いましたが、ここまででかなり長くなっているので、次の
写真の話をして、それ以降はまた次回にします。
昭和になるとドリルみたいなものを使ったようですが、さすがに江戸時代には
そんな機械はありませんから、坑道は手作業で掘り進みました。
逆に言えば手作業なので一日に掘ることが出来たのは30センチぐらいだったと
いうことで、いきなり崩落するような振動が出るようなことはなかったものの
空洞が延々と出来れば、地下水や地震などで崩れる危険性が高まります。
そこで専門職の大工さんが型枠を作って、坑道が出来ていくのに合わせて木材
を加工して、補強する工事をしていたようです。
江戸時代に出来た坑道が観光用として利用可能なぐらいなので、基本的に安全
な岩盤なのでしょうが、崩落してしまったら作業員の命が危ない上、それまで
掘り進んだ苦労も水の泡ということで、人道上の理由なのか、投下資金の無駄
を抑止するためなのかは当時の経営者がいないのでわかりませんが、それなり
に坑道の崩落を防ぐことは重要視されていたようです。
ということで、坑道の中を歩いた話は次回に続きます。