先日、免許証の更新に行って免許証に貼られた写真を見て、うんこりゃ間違い
なく還暦を来年に控えた準高齢者だなと思いました。
納車された車のカーステレオ(当時はCDなんてあるわけもなく、車内で音楽
を聴くための装備はカセットデッキしかありませんでした。)用に、アルバム
からダビングしたのは寺尾聰さんの「Refrections」でした。
アルバムが発売される前年から、YOKOHAMAタイヤのCM曲として流れていた
「シャドーシティ」「出航 -SASURAI-」「ルビーの指環」が、シングル
レコードとして販売されていて、これらの三枚は当然持っていましたが、でも
やっぱりアルバムの曲は全てお気に入りで、それこそカセットがダメになって
二本目を作らなければならないほど聴いていました。
最初に乗った車はスカイラインでしたが、付いていたタイヤはトーヨータイヤ
の普通のタイヤだったので、YOKOHAMAタイヤのASPECに交換したぐらいに
トコトン、寺尾聰の世界に浸りきっておりました。
タイヤメーカー、東芝EMIからしたら鴨がネギを背負っている状態ですね。
CM出演は、故ニキ・ラウダ。企業がCMに本気に取り組んでいた時代です。
寺尾聰さんの三曲の後に使われていたCM曲は、寺尾聰作品のアレンジを担当
していた井上鑑で、この人のシングル盤も買いましたし、さらに次のCM曲で
流れていた「ドラマティックレイン」=稲垣潤一も買いました。
寺尾聰さんの曲も好きでしたが、井上鑑のアレンジが良かったです。
「西部警察」のリキ刑事と音楽活動が両立できないということで刑事としては
殉職してしまい、待望のコンサートツアーがスタートしましたから当然、私も
コンサートに行きました。(チケットの競争率はかなり高かったです。)
音楽に対する考え方の違いとか、マネジメントの方針の違いなどを理由に結局
は石原プロモーションを退社しましたが、ケチ臭い昔の興業みたいな胡散臭い
芸能プロダクションを退社すると、仕事を妨害されたり、尾ひれの付いた噂を
流されたりして活動を妨害されるという話をよく聞きますが、さすがに大物の
石原裕次郎という人は度量があったのでしょうね。
その後、芸能界から寺尾聰さんが干されるなんてことはなくて、それどころか
黒沢明監督の作品の常連として役者としての実力にも磨きをかけて現在に至る
ということになっています。
大ヒットしたアルバムを発売して40年目の今年、寺尾聰さんは70歳を超えて
御尊父の故・宇野重吉さんの雰囲気を醸し出して、名優の域に入っていますが
当時とはまた違った寺尾聰のステージを見せて欲しいと思いますが、世の中は
感染症に覆いつくされている状況なので、まだまだ無理な感じです。
数年のうちに状況が改善されて、またコンサートが開けるように寺尾聰さんが
元気に過ごされることを願っています。