日本の古代史で有名な謀殺、暗殺というと蘇我入鹿が天智天皇(中大兄皇子)
と中臣鎌足たちによって、皇極天皇の御前で首をはねられた件が知られますが
この事件は645年(約1,400年前)ですからね、エジプトの王朝はそれよりも
2,000年以上も前からエジプト人による正王朝と異民族による王朝が戦争状態
にあったわけで、殺し合いの歴史が長いわけですよね。
日本では縄文時代には、ムラの考えもあまりなかったぐらいで、弥生時代以降
になって食料や女を求めてのムラ同士の争いが始まった、と見られているので
日本人は基本的に争いを好まないDNAがあるんじゃないのかな。
という話はともかくとして、セケンエンラー2世のミイラには頭部に大きな傷
があり、1960年代にはX線による調査が行われましたが、その時には防腐処理
によって隠されていた傷が明らかになったことで、対立勢力との戦いによって
戦死したか、宮殿内で暗殺されたのではないかとされていました。
前回の調査から60年が経ち、現在の最先端技術を使った調査では、これまでの
調査ではわからなかった、さらに巧みに隠されていた傷や、頭部の傷の詳細が
確認された上、考古学博物館に収蔵されている古代の武器の刃と照合する作業
が行われ、対立するヒクソスの武器であることが確認されました。
そしてミイラの手が不自然に変形しているのは戦場で捕らえられた際、後ろ手
に縛られていた状態で頭部への激しい攻撃を受けて、頭蓋骨に穴が開き、顔面
を骨折したことによって死亡した処刑死が死因であることがわかりました。
3,600年前の死因が分かる時代なんですから、リアルタイムに起きている殺人
事件の犯人を探り出す技術がもう少し進めば迷宮入り事件なんて発生すること
もなくなる時代が来ることになるのかも知れません。
日本の場合、ミイラにして遺体を残す習慣がなかったことで、日本書紀などの
文献(そもそも日本書紀や古事記は創作の部分もあって、実際の記録ではない
書物なので参考文献としての価値は低いと見られています)に頼るしかないと
いうことで、蘇我入鹿の暗殺についても真実は誰にもわかりません。
骨や歯などから年齢などを推定する法医学も、進歩を続けて行くでしょうから
これから50年後ぐらいには日本の歴史の謎も解明されて行くかも知れません。
その頃には自分自身も鬼籍の人なのが残念と言えば残念かな。
3,600年前の死因が分かる時代
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