宣祖が義州に避難している間に、世子の光海君が地方からの援軍を呼びかけて
日本からの侵略軍を撃退し、朝鮮に平和が戻ってから宣祖が王として復帰した
際に行宮に住むようになりましたが、正式に王宮になったのは世子の光海君が
後を継いで第15代・王に即位してから三年後の1611年のことでした。
この時は慶運宮と呼ばれて王宮として使われていましたが、1615年には昌徳宮
に王の拠点を移したため再び離宮として270年間使われてきました。
その後、いろいろな出来事があり徳寿宮という名称になりました。
朝鮮から大韓帝国に国名が変わり、皇帝・高宗の時代になっても、日本からの
干渉、侵略行為は続き、日本からの譲位を強要された上、1919年1月22日には
大日本帝国の差し金により高宗が毒殺されるという、3・1独立運動の原因に
なった出来事が起きた場所でもあります。
ということで、徳寿宮は朝鮮時代の故宮というよりは大韓帝国になってからの
石造りの石造殿や西洋式の建物が多く、韓国ドラマの時代劇の雰囲気を感じる
には、ちょっと合わない場所だと感じているので、今回の旅行では正殿である
中和殿を中心に早回りで観てきました。(次の予定もあったので)
中和殿は李朝時代の建物で、1906年に作られた建物です。
王の即位式、外国からの使節団の歓迎儀式などの公式行事が行われました。
この建物に続く道の左右には品階石が設置されていて、公式行事の際には臣下
はそれぞれの階級の石の横に整列したようです。
正殿に向かって右側が文官、左側が武官が整列したそうです。
徳寿宮を一回りしてから、次に目指したのは景福宮です。
こちらは韓国ドラマでもお馴染みの光景が見られるので、今回の同行者の方々
も一番楽しみにしていた場所です。
地下鉄のストライキでタクシーの空車台数が激減していた上、市庁前の広場は
デモの人波で埋め尽くされている状態だったので、いつもならタクシーを使う
距離ですが、光化門前広場を通って景福宮まで歩きました。
その様子は次回にて。
ソウルにお出かけ 2023年・秋-6
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