去年の12月には先を争うように多くの方が亡くなりましたが、その流れは年が
変わっても止むことがない感じで、訃報が続いていますね。
ただ、若い頃にも著名人の訃報はそれなりに続いていました。
人柄までは知らなくても有名人として知っている方々は、10歳以下の子供から
100歳に届こうかという高齢の方まで存在するわけですから、ああ…あの人が
ということは当然あるわけで、残念な話は続くものではありました。
でも、自分自身が今年で還暦になろうかという年齢になってくると身近な人達
の中から永遠の旅立ちをする人が出てくることになり、去年も五人程の知人や
友人が肺がんや白血病、くも膜下出血、腎臓疾患で亡くなりました。
一番若い人は30代前半で、一瞬先は闇というのは事実だと思いました。
年始のおめでとうメールでも二人から返信がなく、その二人は悪性リンパ腫と
肺がんの治療をしていた人なので、他界したのかなという感じです。
毎年、年始のメール交換だけはしている人というのは、一年間ほとんど近況を
知ることも無いので、いつもなら返信が来るメールが返信が来ないことで異変
を察知する感じになっているのが現実ということで残念極まりないです。
ということで、著名人の方で名前を知っている人の年齢層も高くなり70代とか
80代の人だと気になる方も多いのですが、そんな人たちの中の一人だった方が
10日に82歳でお亡くなりになりました。
野球漫画と言えば水島新司さんという世代(今でも知られた野球漫画は水島氏
の作品が大半でしょうかね)なので、残念なニュースとして聞きました。
「男どアホウ甲子園」「あぶさん」「ドカベン」「野球狂の詩」「一球さん」
「球道くん」など、記憶に残っている作品は多いです。
一年と少し前の2020年12月1日に、漫画生活からの引退を発表した時も記事に
書かせていただいたように、日本で野球に人気があった要素の一つに水島氏の
漫画があったのは事実だと思います。
子供の頃に地元の仲間たちと野球をしていた頃(正式なチームはなかった)に
葉っぱを咥えて岩城の真似をしていたのとか、指が短くてボールの握りが浅く
変化球が投げられないから殿馬のように指と指の間を切って指を伸ばしたいと
言っていたのもいたので影響は大きかったです。
水島新司さんのご冥福をお祈りします。