ジャーニーが「エスケイプ」「フロンティアーズ」で大きな成功を収めて
アメリカ音楽界屈指の人気バンドまでなったものの、リードボーカリスト
のスティーブ・ペリーがコンサートツアーに出ることもできない酷い腰痛
でバンドを脱退してからは、ニール・ショーンとジョナサン・ケインのみ
というような状況になり、激しいメンバーの入れ替わりから新曲の発表や
コンサートツアーも滞りがちになり、バンド自体が開店休業みたいな状態
になっていたのが2007年頃のことでした。



スティーヴ・ペリー並みの歌唱力、表現力のあるボーカリストを探すのが
ジャーニー復活に不可欠であることは、メンバーの誰もが認識していたと
いうことですが、偶然YouTubeを見ていたニール・ショーンがフィリピン
のライブハウスで演奏するThe Zooというバンドの動画を見て、その中で
ボーカリストがカヴァーするジャーニーのFaithfullyを聴いてメンバーに
加えることを提案し、ニール・ショーン自らが連絡を取って、アメリカに
オーディションを受けに行ったのがアーネル・ピネダでした。