江戸時代末期、日本国内が内戦状態だった時に、鳥羽伏見の戦いから敗走した
佐幕派は上野で官軍(薩摩・長州連合軍)を打ち払うはずだったものの幕府側
の敗北は確定的であり、江戸が火の海になることを危惧した勝海舟と西郷隆盛
の会談により江戸城の無血開城、大政奉還への道筋が出来ました。



勝てば官軍と揶揄されるように、薩摩・長州の兵員の中には隊の規律を守らず
平民から財物を脅し取ったり、女性を暴行するクズも存在していたため、官軍
が新政府軍(明治政府樹立の立役者)、幕府軍が賊軍(反政府軍)として護国
神社に祀られることもないのは正しい歴史の見方ではないというのが個人的な
見解ですが、そういう話をする記事ではないので、歴史の話はここまでです。