この水着に「ビキニ」と名付けた理由は発表の4日前の7月1日にアメリカ軍
が南太平洋のビキニ環礁で原子爆弾の実験を行い、その壊滅的な破壊力を衝撃
と受け止めたルイ・レアールは、自分自身がデザインした水着のインパクトの
大きさをこの水着のイメージと重ねて、ビキニという名前を付けたわけです。
今なら大量殺戮兵器の実験場の名前を付けた水着なんて不謹慎だと不買運動が
起きて名称変更になりそうな趣味の悪い命名なんですが、当時はイデオロギー
の対立から核戦争の勃発も想定されるぐらいに人間は愚か(現在のトランプと
安倍晋三も相当に愚かですけどね)だったので、核爆発の衝撃も女性の水着の
衝撃も同意語と考えるぐらいのことは普通だったのでしょう。
ビキニ環礁では1958年に最後の核実験が行われるまでに、延べ67回もの
核実験が行われ、残留放射線の濃度は現在でも元の島民が帰還できないほどの
高レベルになっていますが、アメリカ政府は長崎・広島への原爆投下と同じく
正式な謝罪もしていなければ、環境改善のための努力も無しなので人が住める
環境になるとは思えません。
過去の愚行は取り返しが利きませんが、未来を変えることは出来ます。
女性の露出がいくら高まろうが、そちらの衝撃は大歓迎の人も多いのに対して
放射性廃棄物を撒き散らす核実験など誰も歓迎などしませんので、今後も世界
のどの国であっても核兵器の実験は止めてもらいたいと切に願います。