永遠の情念の女・阿部定 [記念日・昭和の記憶]
に陥ると、もっとも愛している男性に対して所有欲や独占欲、そして憎悪
の感情が先走るものの命まで(時には殺害に至ることもありますが)とは
思わないのか、逆に生きながら男性としての機能を失うことを主目的だと
考えるのか男性と女性が結合する部分を切り落とすという事件が起きたり
することがあります。
日本では数年に一件ぐらいの割合ですが、自分でジェラシーが凄いと自負
しているフィリピンの女性はナタとか包丁とか、はさみとか各種の道具を
使って男性の男性たる部分を切断する事件が割と多く発生しています。
このような事件が日本で報道される場合、必ず過去の事例として阿部定と
いう固有名詞が登場するのですが、さすがに戦前の話ですから私世代なら
まだしも若い世代では知らない人が大半だと思います。
阿部定事件は、その事件内容の壮絶さがいつの間にか純粋な愛の物語へと
変遷しているという珍しい事件で、さらに30年ほど前には、この事件を
題材にして、大島渚監督が「愛のコリーダ」という題名で映画化していて
いわゆるポルノ映画でも疑似セックスが当然だった時代に全編ハードコア
(実際にセックスをして撮影)で製作されたことから、映画の内容以外の
部分でも話題になっていて、海外(特にフランス)では非常に評価の高い
作品になっています。
多くの人が知っていると思いますが、簡単に阿部定事件をまとめてみると
事件が起きたのは昭和11年、私も生まれていなかったのですが昭和史の
本を読んだり、映画の題材として取り上げられていることから、私なりに
調べた結果、元々は芸妓や娼婦などの仕事をしていた阿部定は東京の鰻屋
の女中として働き、その店の主・石田吉蔵と不倫関係になります。
最初は密かに店外で落ち合い、普通に情交を交わす関係でしたが、次第に
体を噛んだり、首を絞めたりする快感に嵌まっていき、自分を殺してくれ
と吉蔵に言われた定は愛人である店主を絞殺し、男性器(陰茎と睾丸)を
切り取って、雑誌に包み、自分の着物の中に大切にしまいこんで、吉蔵の
血液で死んだ吉蔵の身体に吉蔵と自分の名前を書き込んで逃走します。
三日後に都内の旅館で逮捕された時にも吉蔵の男性器は大切に持ち運ばれ
二人の関係が不倫関係であり、阿部定が一方的に悪いわけではないことや
事件の猟奇性から精神鑑定を受けて懲役6年の判決を受け、刑務所に拘留
されましたが、恩赦により短い刑期で出所しています。
故・渡辺淳一の「失楽園」などの心中物のドラマや小説でも、阿部定事件
の影響を感じることがあります。
最終的には出所後に消息不明になっていることで、亡くなった時期が不明
という部分があり、事件の顛末が本人によって語られていないということ
で伝説みたいな話になっている部分がありますし、生涯自分一人の男だと
いうことを念ずるがための犯行であることから、別の意味では一途な愛情
を捧げた女性として人気があり、刑務所に拘留中には結婚を申し込む手紙
が一万通近く届いたという話があります。
逃亡中に持ち歩いていた吉蔵の男性器に時々触れて、いつまでも吉蔵自身
を感じていたかった、という「女心」が純愛として評価をされていますが
男性器を切り取った理由を聞かれた時には、葬儀の際に本妻が吉蔵の陰茎
に触れることに抵抗があったので持ち歩いていたという趣旨の供述もあり
愛情よりも嫉妬の感情が強かったかも知れませんが、真実の殺害理由など
詳細な部分は、やはり本人にしか説明は出来ないですよね。
ちなみに、愛のコリーダが海外で受けた理由の一つとして、日本人女性の
女性器は横に割れているという伝説?と、浮世絵の影響から日本人男性の
ペニスはとても大きいという認識が海外ではあるので、ハードコアの映像
で、その真偽を確めようという好奇心も強かったみたいですね。
同じ人間なんですから、割れ目が横になっているわけないでしょ?と私は
思いますが、欧米人が東洋人を見る目は、その程度だということのようで
いくつもの国が集まる多国間協議が簡単には進まないのも当然ですね。
現在のように、無修正の画像や映像が誰でも簡単に見られるようになった
ことで、頭の中で考えていることはともかく、秘められた部分については
特に違いがないことは理解できるようになっていますが、それでも戦争や
紛争が無くならないのは人類は元々賢くないということなのでしょう。
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