日本の場合、競馬=ギャンブルのイメージが強すぎてスポーツや動物関連
の話題として話をしても、どうせ博打の話でしょとまともに話も聞かない
狭量な人間がいるのは残念なことですが、そういう人にどのように競走馬
の素晴らしさを語ろうが、騎手のアスリートとしての能力の優秀さを説明
しようが話にならないので、わからん人間には何を言ってもわからんのだ
と価値観の固定化した人間の愚かさを感じたこともありますが、そういう
きれいごとでしか物事を見られない人間が、ボランティアの事務局をして
いることもあることを知って、だから企業の絡むボランティアは表面上の
きれいごとでしか動けないんだなと感じたことがありました。



競馬の話のはずが、きれいごとでしか物事を語れない底の浅い人間の話に
なってしまいましたが、とりあえず言いたいことは競走馬もジョッキーも
結果を出さなければ淘汰されるギリギリの環境の中で仕事をしていること
を深く考えもしないで、競馬は胡散臭いというような底の浅い薄っぺらい
人間は大嫌いなんですよ、ということなんです。