の三人が、徳川御三家(尾張・紀州・水戸)に着想を得て、芸能界の御三家と
呼ばれるように頃、私はうまれたばかりの頃でした。
三人の中で最初にデビューした橋幸夫は、昭和35年に「潮来笠」でデビューし
日本レコード大賞新人賞を受賞、次にデビューしたのが舟木一夫で、昭和38年
「高校三年生」で日本レコード大賞新人賞を受賞、西郷輝彦は最後にデビュー
して昭和39年に「君だけを」「十七才のこの胸に」の二曲で日本レコード大賞
新人賞を受賞ということで、ほぼ同期の三人が御三家と呼ばれたわけです。
昭和37年生まれの私ですが、2歳の時には御三家は大人気でしたから、当時の
白黒放送のテレビやラジオから聴こえてくる歌は、自然に覚えていました。
舟木一夫については、私の地元の愛知県一宮市の出身だったので、特に周囲の
大人たちの思い入れは深く、人気が低迷していた時には何度か自殺未遂事件を
起こしていますが、幼児だった私の記憶の中でも、舟木一夫の自殺未遂の話題
はかなり長い間に渡って噂になりました。
現在でも、一宮市萩原町を通る国道155線の交差点のガードレールのところに
「舟木一夫の出身地萩原町」と書かれているほどの地元のスターなのです。
一宮市出身の歌手は、他にはつボイノリオとラッパーのSEAMOぐらいなので
昭和世代的には、舟木一夫しか大ヒット歌手はいません。
という話はともかく、私の勤務先には、以前(もう既に、亡くなっています)
自分の出身地が西郷輝彦の隣家だという鹿児島出身の人(偏屈な爺さんだった
ので嫌いでした)がいて、やたらと自慢していたので昭和生まれの人にとって
実際に話したことも無くても、芸能人が身近な出身だというのはステイタスの
一つだと考える人は少なくないみたいですね。
別の見方をすると終戦直後に生まれた世代の人にとっては、同年代の芸能界の
御三家は誰もが知り、出身地の近くに住んでいるだけで自慢の種になるほどの
存在だったということになるのかも知れません。
出生年的には15年程の違いがありますが、私が物心がついた頃には有名な歌手
になっていて「星空のフラメンコ」とか、かなり聞こえてきた記憶がある上に
時代劇を中心に俳優としても見ていた覚えがあるので、御三家の人たちの中で
一番、親近感のある歌手であり俳優でした。
西郷輝彦さんのご冥福をお祈りします。