私が生まれた次の年から石原プロモーションは存在していたわけで、私が子供
の頃から母親は、石原裕次郎さんのファンだったことから「銀座の恋の物語」
や「赤いハンカチ」「錆びたナイフ」「夜霧よ今夜も有難う」などのレコード
を聞いて育ってきたので、出演映画(主に1950年から1970年代)については
ほとんど記憶にありませんが「太陽にほえろ」「大都会」「西部警察」などの
テレビドラマはかなり熱心に見ていました。
石原プロモーションには「ルビーの指環」などのヒットを出した寺尾聡さんも
在籍していましたが、作品が売れて多忙になった後、歌手としての仕事に専念
したいと言う寺尾聰さんを気持ちよく送り出した、というエピソードもあって
ヒット曲を出したから事務所に縛り付けるようなことをしないで、これからの
可能性を本人に委ねる度量の大きさこそが大スターなんだなと思いました。
特に「西部警察」は、ほぼ石原裕次郎さんの遺作のような感じでしたが最終回
で、大門刑事部長(渡哲也さん)が殉職した時の石原裕次郎さんの演技は本当
に渡哲也さんにお別れをしているような感じで、記憶に残っています。
亡くなる前に出した「わが人生に悔いなし」「北の旅人」は裕次郎さん本人が
自分の死期を悟ったような歌詞で、美空ひばりさんの「川の流れのように」と
同じように遺言のように聞こえました。
小樽の石原裕次郎記念館(今はもう閉館になっています。)にも行きましたし
裕次郎さんと同年代の人たち以外では、最後のリアルタイムの石原裕次郎さん
を覚えている世代になるんじゃないのかなと思います。
石原プロモーションが解散したことで、昭和の頃の大スターが設立した個人の
芸能プロはほぼ無くなったんじゃないのかなと思いますが、これもまた時代の
流れなんでしょうね。
石原プロモーションの解散
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