ただ、素人的な考えでは予算がなくて竹の骨組を使っていようが、潤沢に
建立用の資金と技術があって銅を鋳造していようが、大きな仏様を拝むと
いう、ありがたみという点では全く一緒であると思っていますので、特に
三大とか言わなくても自分自身にとって、拝みやすい場所、安息の場所が
心の拠り所であれば良いと思います。
で、本題なんですが、大仏様の台座の下は回廊になっていて、いろいろな
絵画が展示してあって、その中に地獄の様子を描いた絵がありました。
生前に犯した罪の裁きを受けて、鬼たちによって火あぶりにされたり手足
をのこぎりで断ち切られたり、釜茹でにされたりと正に阿鼻叫喚の地獄絵
で、私が子どもの頃に読んだ地獄の様子を彷彿とさせる絵でした。
現代社会においては死後の世界は科学的に否定されて、生きている時点で
どんな罪を犯そうが地獄の責め苦なんてありえないことと鼻で笑われて、
さらには犯罪者によって現実社会に地獄絵図が再現されている有様となり
そんな状況の中でも死刑執行は繰り延べられたままになっています。
何人もの人を自分自身の厭世感から殺害したり、ただ傷つけたかったから
という理由で殺人事件を起こす人間が日本やアメリカだけでなく北欧など
社会保障がしっかりしているとされている国々でさえも厭世感による心中
のような複数の死傷者が出る事件も起きていて、地獄に行くまでもなく、
現在の人間界が地獄絵図になっているように感じられます。
科学で説明できないものはウソであると言い続けている著名な大学教授も
いますが、科学万能の世の中だというのなら、その科学の力によって犯罪
を抑止するシステムを作ってもらいたいものです。
人を殺傷してはいけないという道徳教育というか人格教育の根っこの部分
にあった極楽と地獄という考え方を、単なる伝承であると軽々しく扱った
ことから、この星が生き地獄と化し始めたんじゃないのかな。