クイーンのソングライターでリードボーカリストのフレディ・マーキュリーが
「後天性免疫不全症候群」のために死去したのが1991年11月24日でした。
まだ45歳、一時期ほどの大人気ということはなかったものの同世代では有名な
海外ミュージシャンでした。
前にも書きましたが、会社の研修とはいえ、初めて香港に行った日に飛行機の
機内で配布されていた新聞に、フレディ・マーキュリー死去という大きな記事
が一面に掲載されていて、なんてこった!と思ったのが30年前なんですね。
エイズで死去と死因も書かれていて、以前からバイセクシャルを公言していた
のでエイズという病名に驚きはありませんでしたが、亡くなってしまったこと
については、かなりの驚きで続報を知りたいと思いましたが、30年前ですから
インターネットがあるわけでもなく、ホテルのロビーに日本の新聞があるわけ
でもなかったので、香港にいる間は全く続報に触れることはなかったです。
3泊4日で日本に帰ってから、テレビでは特にクイーンに関するニュースはなく
今ほどメディアは外国人のミュージシャンに興味もなかったので、詳しい話を
知ることはなかなか出来ず、翌月に発売されたミュージックライフ(主に洋楽
の情報誌、現在は休刊)で、ようやく詳報を知りました。
2018年に映画「ボヘミアン・ラプソディ」が公開されて、当時のあまり情報の
なかった頃の追体験というか、実際のところ、そんなに詳しくは知らなかった
フレディ・マーキュリーの人生に興味があって映画を観ました。
フレディ・マーキュリーが亡くなった頃には、そんなに大きな話題にもならず
メディアのクールな対応に少々驚いていたわけですが、今度は想像をはるかに
超える映画の大ヒットに驚きました。
当時はSNSも無くて、唐突に消えてしまったスーパースターについて、想いを
共有することもなかったので分かりませんでしたが、画一的なメディアの対応
以上に驚きと悲しみを感じた人がいたわけで、そういう人たちがあの時の痛み
というか、隙間の空いたパズルを完成させるために映画を観るのは必然だった
のかも知れませんね。ミュージシャンの伝記映画としては過去にない大ヒット
を記録して、アカデミー賞の主演男優賞まで獲ったわけですから映画の内容に
感情を高ぶらせた人も少なくはなかったと思います。
心の奥底にある「どうして?」という思いがあり、30年前の空白を埋めるべく
同年代の人は映画館へと足を運んだのではないでしょうか。
なんてことを思った、フレディ・マーキュリーの没後30年でした。