1976年に「サタデー・ナイト」が大ヒットして、1977年の初の来日公演では
失神者が続出し、子供番組の「おはよう! こどもショー」でも取り上げられる
ほどの話題になった、英国スコットランド、エジンバラ出身のロックバンドの
「ベイ・シティ・ローラーズ」のリードボーカルだったレスリーが現時点では
死因不明とされていますが、自宅で亡くなりました。65歳でした。
日本で人気が盛り上がって、アルバム「青春に捧げるメロディー」も大ヒット
そして来日コンサートが行われた時には、創設メンバーの一人だったアラン・
ロングミュアーが脱退して、代わりに加入したイアン・ミッチェルも脱退して
レスリー・マッコーエン、ベースのスチュアート・ウッディ・ウッド、ギター
のエリック・フォークナー、ドラムスのデレク・ロングミュアーの四人編成に
なっての来日でした。
この頃、私は中学二年生で同級生の女子たちの中で、レスリー・マッコーエン
は頂点の存在で少し離れて、二番目がエリックという感じ。
ちょっと斜に構えた感じの子がウッディが良いと言っていましたが、デレクは
全くの不人気で、後年になって児童性愛で逮捕されたデレクの隠れた闇の部分
を女子たちは見抜いていたのかも知れません。
ベイ・シティ・ローラーズ(以降、BCRとします)なんてガキね、という少々
先に行っていますという感じの同級生はクイーンとかKISSの方向に向いていて
いやいや、ロックと言えばビートルズこそが王道だと主張するのもいましたが
そういうやつは大体、スタートで出遅れて、今さら追随するのもカッコ悪いと
思っている、カッコつけの嫌な奴だと相場は決まっているのです。
そんな話はともかくとして、当時は演奏はかなりのヘタッぴでしたが女子だけ
のロックバンドとしてランナウェイズもデビューして、ランジェリー姿で歌う
シェリー・カリーの外見ばかりがクローズアップされましたが、バンド解散後
ジョーン・ジェット&ブラック・ハーツやリタ・フォードが成功していること
からも、単なるイロモノバンドではありませんでした。
※ 私はランナウェイズ支持派だったのです。
BCRの話に戻ります。
イアン・ミッチェルが脱退後、パット・マッグリンが加入したもののまた脱退
して、結局はすったもんだの末に解散し、BCRは誰のモノ?的な揉め事が勃発
することになったため再結成をするとなってもレスリー・マッコーエンが主体
のグループとエリック・フォークナーが主体のグループがそれぞれに我こそが
BCRなり、みたいなことになって、ピークだった頃のメンバーが勢ぞろいして
往年のヒット曲を演奏するということはないままレスリーは逝きました。
レスリー・マッコーエンが亡くなったニュースを見て、再確認しようと検索を
したら、なんとイアン・ミッチェルも去年亡くなっていました。
レスリーと同じく死因は非公開で、ご時世的にコロナ感染症かな?なんてこと
を思いますが、いろいろと大人の事情があるのでしょうね。
イアン・ミッチェルは一時期音楽活動を引退した時にハードコアポルノの男優
をしているというニュースが流れて、女性と本番真っ最中(股間は黒塗り)の
写真も掲載されていて「あの人は今」の海外編だなと思いましたが、実は嘘で
そっくりさんだったという話も聞いたことがあり、元々が超人気スターという
わけではないので真偽を確認する術はありません。
藤竜也さんも「愛のコリーダ」では実際に女性と致したわけなので、お仕事の
一つとして否定するわけではありませんが、アイドルがハードコアというのは
ちょっと衝撃的ではありました。
確実なのは自分自身が年を重ねたという事実を当時のスターが亡くなることで
よりリアルに感じたということですかね。
そう言えば、去年亡くなって今日が一周忌の岡江久美子さんがずっと出演して
いた「はなまるマーケット」のオープニング曲はBCRの「二人だけのデート」
でしたね。一周忌の日に亡くなるとか、これも何かの縁なのでしょうか。
青春のアイドルとはちょっと違いますが、当時の同じクラスで一番可愛い女子
と話す機会を与えてくれたレスリー・マッコーエンのご冥福をお祈りします。