海から暖かい風が吹く釜山と山から冷たい風が吹く慶州では、バスで一時間の
短い距離でも大きな違いがあったのでした。
バスを降りて少し歩いたところにツーリストインフォメーションがあったので
今夜の宿泊場所である韓屋(韓国伝統建築で作られた旅館)シオワダンの場所
を確認したところ、とても歩いて行ける場所ではないことが判明し、行き先を
ハングルで書いてもらってタクシーに乗りました。
目的地のシオワダンは宿泊スペースが三室の旅館というよりは民宿という感じ
でしたが、まだ出来て真新しい建物で、韓流ドラマに出てきそうな風情のある
建物で、到着した時にはオーナーがどこかへお出かけしていて、用事がある方
はカカオトークか電話して下さいという感じのメモが門に貼ってありました。
こんな感じでメモが貼ってありました。
ハングルが書けない読めない上に、韓国語が喋れるわけでもないので連絡手段
をどうするか考えていると都合よくというか、オーナー夫人がアウディで帰宅
されたので建物の中に入ることが出来ました。
シオワダンは漢字で書くと「時雨蝸堂」みたいな感じで時雨の時にかたつむり
が集まるとか、そんな意味があるのでしょうか。
とにかく寒いのでひとまず暖を取らねばということで指定された部屋に入ると
オンドル(韓国式の床下暖房=以前は練炭などで暖めていましたが一酸化炭素
中毒による事故が毎年発生したので、現在は練炭方式はあまりないようです。
日本のリンナイがシェアの50%を獲得しているとか)になっている他エアコン
も設置されていて、冬の寒い地方に来たことを実感しました。
寒いとはいうものの予定よりも早い時間に着いたのですから、古都慶州の観光
もしなければ、せっかく来た意味がありません。
ということで、まずは国立慶州博物館へと向かいました。
慶州博物館は入場料が必要だと思っていたのですが、チケット売り場に行くと
女性がそのままどうぞという感じで手で示してくれたので、そうか無料なのか
と思いつつ門を入ると最初に目につくのが、この慶州博物館を代表する展示物
ともなっている聖徳大王神鐘です。
30年ぐらい前に来た時には吊り下げられていて、鐘を鳴らすことも出来たよう
に記憶していますが、現在はレンガの土台の上に乗せられているので、鐘の音
が聞こえることはありません。
この鐘は新羅の第35代の王である景徳王が、父の聖徳王を供養するために職人
に作らせたのですが、何度作っても鐘が割れて音が濁って失敗が続いたために
僧が夢に見たという方法(生贄を捧げる)を取り入れることにして、女の子を
一人、鐘を作るために溶かした銅の中に投げ込んで完成させたとされていて、
鐘を鳴らすと鐘の音がエミレ(お母さんと叫ぶ、女の子の声)に聞こえたため
正式な名前の聖徳大王神鐘とは呼ばず、エミレの鐘と呼ばれるようになったと
いう伝説があります。
王のために命を捨てよと言われていた時代のことですから、そんな話が現実に
あったとしても違和感はありませんね、多分、事実なのだと思います。
こういう時に夢を見たというのは大体が生臭坊主というのはちょっと不思議な
話なんですが、坊主なんてのは茶坊主と言われていたぐらいですから、国王の
ご機嫌取りでいかにも神がかりなことを言って信用を得ていたのでしょう。
今の時代にも同じような茶坊主がいるので人間はあまり進歩していませんね。
この後は博物館の中で、古墳公園にある天馬塚から出土した金冠や副葬品など
を一通り見て、慶州名物とされる夕食を食べるために食堂へと移動しました。
慶州名物とは「サンパッ」と呼ばれる料理で、サン=サムは包む、パッ=パブ
はご飯という意味で、そのまま訳すとご飯を包むということになります。
次回で、写真をつけて説明するようにします。
2019年の最後は慶州・釜山の旅 -3
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