彦根城天守は御存じの通り、松本城、犬山城、姫路城、松江城と同じく国宝に
指定されている戦争で燃えていない天守です。
築城を命じたのは徳川家康で、1604年に着工し20年の歳月をかけて完成。
元々は徳川四天王だった井伊直政に豊臣方の抑えとして佐和山城を入城させた
ものの井伊直政が関ケ原の合戦おいて負傷し、後に死亡したことから井伊直政
の長男である井伊直継に代替わりをしたのに合わせて、家老の木俣守勝が移築
計画を徳川家康に諮り出て、徳川家康の許可が出たことで着工しました。
大坂冬の陣で工事が中断したり、井伊直継が家康の不興を買って弟の井伊直孝
が井伊家の当主になり、家康の命により彦根藩藩主となったことで初代城主は
井伊直孝ということになっています。直継は分知して上野安中藩の当主に転属
ということで、実際の人柄まではわかりませんが井伊直孝は家臣のウケが悪く
徳川家康からはその人望の無さから後継者として認められなかったようです。
そんな人間関係のドロドロはどこの藩でもあったようですが、彦根藩には甲冑
を赤(朱色)で統一した「井伊の赤備え」と呼ばれた鉄砲隊が配備されていた
ということで、当時の古式砲術を披露する彦根鉄砲隊の演武を偶然、見ること
が出来ました。(お城に着くまで知りませんでした)
お濠を挟んで向かい側に、赤い甲冑の彦根鉄砲隊の隊員?が並んでいます。
構えて!の号令の元、空砲とはいえ人の方に銃口を向けることは出来ないので
斜め上の空に向かって構えます。
引き金を引くと大きな銃声と共に白煙が上がり、見物客から拍手がわきます。
火縄銃の弾は現在の銃弾のような形ではなく丸い玉だったので、命中率が悪く
槍を持った武将との1対1の戦いでは有利性は低かったみたいですが、銃声だけ
でも充分に相手に恐怖心は持たせたことだろうなと思いました。
1発撃った後は弾を込めて、火を点けなければならないので連続して発砲する
ことが出来ないので、一発必中で相手を仕留められれば良いでしょうが、命中
させることが出来ないと槍や刀で逆襲されるので、織田信長が長久手の戦いで
武田騎馬隊を撃破したように、何列もの鉄砲隊が順次入れ替わって連射をする
戦術を使わないとリスクは高そうですね。
弾を込めたら再び、構えて、撃て!という動作が何度か繰り返されました。
何度かの発砲の後で、今度は立膝での一斉射撃になりました。
一通りの演武が終わると記念撮影会ということで、甲冑姿の鉄砲隊員と一緒に
写真が撮れます(無料です)が、自分の写真を撮るのは好きではありませんと
いうことで、自分の写真は撮ってもらっていません。
彦根城といえば、誰でも知ってる「ひこにゃん」がお出迎えかと思いましたら
鉄砲隊のゆるキャラは「ひこどん」ということで、赤いひこどんがいましたが
やっぱり、ひこにゃんほどの認知度はなく、来場している人達からもアイドル
という扱いはなかったように見えました。
ひこにゃんは、ゆるキャラ界のトップアイドルだから仕方ないよね。
彦根鉄砲隊の演武
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