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彦根駅で井伊直政公の銅像に遭遇 [トラベル]

長浜で鯖素麺をいただいてから、黒壁スクエアの商店街をチラ見して長浜城の
ある豊公園まで歩きましたが、現存する長浜城は日本各地の城をモデルにして
復元されたものであり、建築物としての価値は特にありません。
見た時に犬山城に似てるなと思ったら、犬山城もモデルになっていました。

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元々の長浜城は豊臣家が滅亡した後は廃城になり、解体された資材は彦根まで
運ばれて彦根城を築城する資材として使われています。


いろいろな城のイメージ寄せ集めで作られている城は家から近くにある清洲城
も同じですが、長浜城には天守閣の跡地に、築城の際に人柱にされたとされる
長浜一の美女「おかね」の石碑と同じく人柱にされた「おきく」を祀った祠が
あって、戦国武将というのはトコトン人を殺すのが好きだったみたいですね。
美女を殺して人柱とか、一種のサイコパスとしか思えません。

愛知県では織田信長、豊臣秀吉、徳川家康が三英傑と呼ばれていますが、多く
の人を殺して天下盗りなんて言っていたクズ共が英傑なんて個人的には絶体に
認めません。織田信長も豊臣秀吉も悪行の祟りで死んだと思っています。

という話はともかくとして、電車に乗って彦根に移動しましたら駅前に鎧兜の
武将の銅像があり彦根藩初代藩主井伊直政公と書かれていました。

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彦根藩の藩主だった井伊直政は徳川家康の勇猛な家臣として徳川四天王の一人
に数えられ、数々の武功を挙げて井伊家を再興しましたが、彦根城を築城中に
42歳の若さで死没していて、彦根城に入城することは叶いませんでした。

個人的には彦根城と言えば、桜田門外の変で水戸藩の襲撃を受けて斬首された
井伊直弼の居城というイメージが強かったため、駅前の銅像を見た時に、なぜ
大老・井伊直弼ではないのだろうと思ったぐらいでしたが、14男から出世した
井伊直弼よりも、井伊家を再興した井伊直政の方が彦根市の基礎を築いた人と
いう見方は出来ますから、そういうことなのでしょう。

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この後、歩いて彦根城まで行きましたが、彦根城ではイベントとして甲冑姿の
「彦根鉄砲隊」が火縄銃の演武を行っている様子を見ることが出来ました。
年に四回ぐらいしか実施しないらしいので、ラッキーだったかもしれません。
その様子は次回の記事で書くようにします。


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