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東海道新幹線が開業60周年 [飛行機・鉄道・自動車]

1964年の東京オリンピックの開催に合わせて工事が進められた新幹線が、開業
して今年で60周年ということで、JR東海では大々的にキャンペーンが実施され
60周年記念サイトでは、0系新幹線の開業列車「ひかり1号」の18金製モデルが
990万円で販売されていたりして、良くも悪くも日本人の発想だなと変なところ
で感心というか、納得というか「金」の好きな国民性だなと思います。

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新幹線が開業した年に、個人的には二歳になりました。
幼児期の記憶力というのは年齢を重ねた今よりも優れていたようで、家の近くの
旧国道22号線を東京オリンピックの聖火ランナーが走った日のことを覚えていて
中日新聞の小旗を振っていた沿道の人たちがいて、近くにバス停があったことや
ランナーを見送る我々の後方には鉄工所があったことなども記憶にあって、当時
のことを話すと両親に驚かれたりしましたが、子供の記憶って意外に幼児期の頃
の出来事を覚えているものだと実感される方も多いのではないかと思います。


小学生ぐらいの時は、親戚のおじさんが新幹線の見える場所まで、従妹と一緒に
車に乗せて連れて行ってくれたりして、今の子どもたちよりも新幹線に対しての
憧れは強かったのではないかと思います。

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初めて新幹線に乗ったのは小学五年生の時、家族で伊豆熱川に行きました。
台風が接近していて名古屋駅に着くまでドキドキ状態でしたが、予想通りに台風
は伊豆半島を直撃して、台風が通過するまで新幹線は運休になりましたが、早朝
に行く予定だったので遅れはしたものの二時間遅れで運行再開になり、熱海まで
「こだま」に乗って移動して、そこからは伊豆急で熱川まで行きました。

当然、0系ですから最高速度も遅かったわけですが、それでも車窓の風景が普段
乗っている名鉄電車とは違いましたが、一番大きな違いとして感じたのは鉄橋を
通る時に橋梁の柱が全然、見えないことでした。
残像が残るだけで橋を渡っている時に速さを実感しました。

その後、中学校の修学旅行で岐阜羽島から東京まで、修学旅行専用の団体旅行用
ダイヤだったので「こだま」扱いでした。
そして高校の修学旅行で名古屋から倉敷まで、帰りは広島から名古屋までの乗車
この時が1980年ですから、まだ100系のデビュー前でしたが「ひかり」に乗車
したのは、この時が初めてです。

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その後は10年以上新幹線に乗ることはなく、会社の香港研修で東京まで移動して
成田空港に向かった時に100系新幹線に乗り、その後はまたしばらく新幹線には
乗っていませんでしたが、船橋の本社や姫路などに出張するようになって新幹線
に乗る機会は増えましたが「のぞみ」は「ひかり」よりも特急料金が高いために
出張では「のぞみ」に乗ることは認められていませんでした。

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それでも出張先から宇都宮に移動したりして、東北新幹線の200系にも乗ったり
300系で運行される「ひかり」に乗ったりしていましたが、出張で「のぞみ」が
解禁された頃には最高速度300キロ(山陽新幹線区間のみ)の500系がデビュー
して、あえて500系に乗りましたが、車体が円筒形なので窓側の天井が狭かった
という残念な部分があったので、あえて500系を選ぶことはなくなりました。

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そして700系がデビューした頃が、一番新幹線に乗っていたと思います。
大体、月に1-2回往復していたので、この頃からEX-ICを使っています。

N700系が出た時に「のぞみ」に乗って、その後で700系の「のぞみ」に乗ると
横揺れのレベルがかなり改善されていることを実感して、それからは700系には
なるべく当たらないようにN700系に乗るようにしていました。

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ご存じの方が多いと思いますが、N700系は旧型と新型のN700Aがあります。
車体の横の表示で、N700AのAが小さくデザインされているのが旧型を改良した
N700A(元N700系)で、Aが大きくデザインされているのが新車として納入時
にN700Aとして製造された新型車です。

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現在はさらに新しく改良されたN700S(シュープリーム)の製造・納車が続いて
いる状況で、順次、N700系の代替えが進められていくようです。
N700Sは「のぞみ」ばかりでなく「ひかり」「こだま」にも投入されているので
JR東海の運行表を見て、選択できるようになっています。

当然、新しいのできれいですし、グリーン車はより快適になっています。
EX-ICの会員になって、EX予約で早期購入をすると、グリーン車も割引で購入が
出来るので、新幹線の利用が年に数回でもある場合はEX-ICの会員契約をすると
少し安くチケットを購入出来て、変更回数も無制限なので便利です。

小中学生の頃は、駅の窓口に並んで切符を買わなければならなかったのと比べて
果てしなく便利になり、速度も210キロから285キロまで速くなっていますので
実際のところ、リニアモーターカーは不要だと思います。

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地下を通るから地震や津波にも影響されないと言われますが、大深度での地震の
経験など誰もありませんから、地盤の歪みでリニアモーターカーの軌道がずれる
ということも想定するべきことだと思いますが、そのような話は聞きません。

深い地下でリニアモーターカーが脱線した場合、救助隊が地下まで到達できるか
と考えた場合、装備の点や酸素の供給などの点から絶望的だと思います。
ですから、個人的にリニアモーターカーを利用するつもりはありません。
進化した新幹線で、地上の景色を見ながら移動するのが一番良いと思います。


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コメント 4

newton

500系は岡山に単身赴任中は東京都の往復で良く乗りました。窓側が湾曲しているので狭かったですね。山陽区間は早かったですけど・・・。
by newton (2024-11-01 15:24) 

suzuran

newtonさん:
コメントありがとうございます。

窓側は小型機(昔だとYS-11、今だとDHC-8)のように狭かったです。
外見のカッコ良さで子供に大人気でした。
新大阪の駅で、500系が入線した時に近くにいた子供たちが大歓声で
喜んでいたのが今でも強く印象に残っています。

by suzuran (2024-11-02 00:57) 

ヨッシーパパ

岐阜に父母の実家がありましたので東京駅から岐阜羽島駅までこだま号で3時間ほどでした。
新横浜駅で崎陽軒のシウマイを買って食べるのが常でした。
他には冷凍ミカンや、プラスティック制のお茶など。
ビュッフェにも何度か行きました。
とっても懐かしいです。
by ヨッシーパパ (2024-11-02 19:40) 

suzuran

ヨッシーパパさん:
コメントありがとうございます。

昭和の頃の新幹線(0系、100系)は、ビュッフェがありましたね。
一度も利用することなく廃止になってしまったのは残念でした。

100系は二階建て車両もありましたが、あれも一度も利用することなく
無くなりましたが、東北新幹線で上野から宇都宮まで二階に乗ったこと
はあるので、一応は二階建て新幹線には乗っています。

あの駅弁を買う時に一緒に売っていたプラスチック製のお茶の容器は
熱でプラスチックが溶けて毒が出るという人もいましたが、あの蓋で
ちびちびとお茶を飲みながら食べる駅弁は美味しかったです。

こだまも速くなって、名古屋から東京まで2時間半で、車内販売も
無くなって、旅行の乗り物からビジネス主体になっていることを実感
しますが、7号車のS-Workシートはビジネス利用者のために設定が
されているはずですが、パソコンをカチャカチャする人はあまりいない
ので、逆に静かに移動出来て良いと思っています。

by suzuran (2024-11-03 02:21) 

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