意識のない命は誰のものか [健康・医療]
人工栄養(胃ろうと呼ばれます)や、人工呼吸器の装着などは慎重に検討して
差し控えや中止も選択肢として考慮するとの立場表明をまとめています。
が、これはすでに10年近く前のことであり、本来であれば高齢者を介護する人
のみならず世間一般の常識になっていなければならないことです。
医師が自分の父親を筋弛緩剤で殺害したという事件が起きた際、高齢の父親が
転院する際に、胃ろうを拒否したことで随分と叩かれていましたが、胃ろうを
することによって、痰が増え、むくみが増えて何もしなかった時よりも苦しい
思いをさせることになるという現実に向き合っていないメディア関係者などが
空虚な理想論を広げたりするから、父親を憎んでいたに違いないという恣意的
な表現で書かれた新聞を読んで、医師が全部悪いなんて言い出す人もいるので
この辺りの表現は考えた方が良いと思います。
加齢によって体力、精神力が低下している人に対して最新、高度な医療を全て
投入して延命させることを目的とすることが最善の選択ではない、という考え
を終末期医療を行なう者としての立場として終末期医療のガイドラインに明記
するというものですが、これは法的なルールではなく個々の医師の自主決定を
妨げる拘束力のあるものでもありません。
日本の平均寿命は、徐々に頭打ち感はあるものの、まだまだ伸びている状況で
私が20代の頃に出版された本によれば、ジャンクフードに汚染された日本人の
食生活が続けば、将来的には日本人の平均寿命は40歳ぐらいになると断定的に
書かれていましたが、その予測は全く掠ることも無く外れて、本が出た当時に
10代でハンバーガー世代と言われていた子(現在は40代)の世代も、格別に
目立つような大量死をすることもなく、延々と伸び続けている平均寿命を短縮
の方に向けさせるような状況には全くなっていません。
ただ、寿命が延びれば人は幸せか?と考えたら、価値観の違いはありますから
自由に歩いて外出できないほど体が弱っている状態で生きているのは不幸だと
考える人もいれば、生きているというただそれだけで、頭の中では壮大な想像
を広げることが出来るから幸せだという人もいますから。人それぞれに持った
価値観を一概に定型化できるものではありません。
でも、お腹に穴を開けて胃に直接チューブを通して高栄養を送り込む胃ろうや
気管切開をして酸素ボンベから酸素を送り込み、それでも自発呼吸が出来ない
時には人工呼吸器を使用して、生命の火だけは消さないという考えの終末医療
に疑問を持ったり、異を唱える人は少なくはないように感じています。
年老いて回復の見込みのない人のために高額な高度先進医療を目一杯投入して
まだ若い青年が医療を受けるために必要な健康保険の保険料が納付できなくて
高度医療の十分の一以下の医療費で治せるのに病気を治せない、なんてことも
実際に起きている問題で、生命は平等だという基本原則を踏襲しようとしても
金銭面がネックになって出来ないという不条理なことは現実の問題です。
毒物を注射したり、高電圧を一瞬で流したりして安楽死をさせることも医師の
視点では重要だとは思いますが、本人の意思をもっと表示することが大切だと
思いますよ。
臓器移植を容認するドナーカードはありますが、生命維持装置に関する意思を
表明するためのカードみたいなものはないように思いますので、もしも突発的
に意識を失って心肺停止状態に陥った場合、心臓マッサージの上限時間や後遺
障害発生時の対応(栄養の投入、呼吸状態のコントロール)について、本人の
希望を残すことが出来る制度が作られれば、医療関係者、家族の双方にとって
気持ちの負担が軽くなることも当然考えられます。
そして、個人の命は最終的には医師の物でも家族の物でもなく、本人の物です
から本人の意思が最大限に尊重されるべきものだと思います。
コメント 0