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シンガーの葛城ユキさんが死去 [訃報・追悼]

私が中学生とか高校生の頃に、スーパースターだったミュージシャンや俳優は
現在、70代から80代の人が大半になって、同じ年だった人でも60歳ですから
そりゃ仕方ないと言ってしまえば、それだけのことなんですが、そういう年齢
になってくると、引退とか活動停止という人も出てきて、寂しい話を聞くこと
が多くなってきていますが、最悪の場合、亡くなる人もいるわけです。



高齢者の世界に足を踏み入れても、なんとかテンションを保ちたいと思いつつ
日々を生きているわけですが、やっぱり若かりし頃にリアルタイムで元気な姿
を見ていただけに、訃報を聞くとテンションはだだ下がりになります。


葛城ユキさんの「ボヘミアン」がヒットしたのが1983年のこと、私は21歳の
リアルな若者だった頃で、松田聖子が「瞳はダイアモンド」「ガラスの林檎」
「天国のキッス」「秘密の花園」の4曲がヒットチャートを賑わせていた時代
ライバルとされた、中森明菜も同時期に「セカンド・ラブ」「トワイライト」
「1/2の神話」「禁区」の4曲をヒットチャートに送り込んでいて、良い時代
だったなぁと回想するわけです。

今は廃れてしまった演歌も「さざんかの宿」「矢切の渡し」「浪速恋しぐれ」
「氷雨」「夢芝居」なんて感じで、名曲とされている歌が一年に間にこれだけ
リリースされていたわけで、こんな作詞家、作曲家、歌手が充実していた時代
に若者でいられたことは幸せだったと思います。

人は夢を諦めたら生きている意味が無い、と「フラッシュ・ダンス」の台詞が
まだまだ素直に響いた、本当に良い時代だったと前期高齢者は思います。

そんな時代から「ボヘミアン」を迫力のあるハスキーボイスで歌い続けていた
葛城ユキさんが腹膜がんのため、73歳で亡くなりました。



54歳の時にバラエティ番組に出演した際に、大怪我をして歌手としての再起が
危ぶまれた時も、約半年ほどで復帰したので、元気な人だと思っていましたが
ステージ4のがんからの生還はなりませんでした。

亡くなる数日前から、お世話になった人たちに自ら電話をして、感謝の言葉を
伝えていたということで、本当に律儀な人だったんだなと思います。
本当に日々、寂しい話が続くのが残念ですが、自分自身が年を重ねているわけ
ですから、これはもう逃れようのない話ですね。

葛城ユキさんのご冥福をお祈りします。


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