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作詞家・喜多條忠さんが死去 [訃報・追悼]

N.S.Pの中村貴之さんの訃報を聞き、歌を聴く度に数々の思い出が蘇ってくる
ような世代の人たちが、これから旅立ってしまうのが寂しいと記事にした途端
また一人、子供の頃から聴いていた歌の詩を書いていた作詞家の喜多條忠さん
が奇しくも、中村貴之さんと同じく肺ガンで亡くなりました。



毎年のことなんですが、12月になると一年を締めくくるかのように多くの方々
の訃報が毎日のように続くのは何故なんでしょうね。
寒い季節になって、ただでさえ体が寒いのに、心の奥底まで寒くなる寂しい話
はもうたくさんと言うか、暑くても寒くても訃報は嫌ですね。


喜多條忠さんの名前を聞いて最初に浮かぶのはやはり「神田川」です。
N.S.Pの話では叙情派フォークと書きましたが、かぐや姫は四畳半フォークと
呼ばれていましたね。家にお風呂がなくて銭湯に行って、お風呂から先に出て
待っている間に寒さに凍えて小さな石鹸がカタカタ鳴ったと生活感をそのまま
歌にした作品でしたが、この歌は作者の喜多條忠さんが同棲していた頃の話を
モチーフにして書かれた歌だとされています。

同じく、かぐや姫の「赤ちょうちん」「妹」も書かれていますが、新しい曲を
出すたびに映画の題材にされて、かぐや姫のメンバーが嫌気がさしたという話
もありましたが、映画会社のプロデューサーが能無しだったんでしょうね。
普通に考えたら新しい歌が出る度に映画にしようなんて思いませんよね。
発想が貧困すぎるというか、まあそれは置いといて。



ヒットした順番だと、次は「いつか街であったなら」ということのようですが
中村雅俊さんのバージョンと吉田拓郎さんのバージョンがあります。



3番目がキャンディーズの「やさしい悪魔」で、それまでの爽やかなイメージ
を変えようと黒い網タイツに小さい短パン(ミニスカートで激しく踊っていた
ピンクレディーに対抗しようという関係者の思惑が丸々具現化された衣装だと
思います)で歌っていましたが、やっぱりキャンディーズは清々しいイメージ
の方が良かったと個人的には思っています。

この歌は吉田拓郎さんの作曲で、なるべく長い時間をかけてキャンディーズの
メンバーと一緒に居たくて難しい曲を作ったのに、あまりにも簡単に曲に順応
して歌いこなしてしまったので、とても残念だったと吉田拓郎さんが言うほど
キャンディーズの三人は、音楽性が高かったということですね。昭和の時代の
アイドルは今とは違っていたということでしょう。



4番目が柏原よしえさん(前は柏原芳恵さんでした)の「ハロー・グッバイ」
現在の天皇陛下の浩宮様がお気に入りだった歌手として有名でした。
宮内庁がもっと柔軟だったら、皇后さまになっていたかも知れません。



梓みちよさんの「メランコリー」が5番目に多く売れた曲のようです。
一昨年、自宅のベッドで亡くなっている状態で発見されましたね。代表曲でも
ある「こんにちは赤ちゃん」は、子供の頃にはこの曲をかけながらゴミ収集車
が来ていましたから、すり込まれたように覚えています。

その他には南こうせつさんの「今日は雨」とか、「俺たちは天使だ」の主題歌
になっていたSHOGUNの「男達のメロディー」なども好きでした。



同じことを書きますが、1970年代から1990年代にかけて、子供から青年期の
歌を聴くと本当にその当時の情景が思い浮かんでくるわけですが、そんな時代
に活躍された音楽関係者がどんどん他界しているのが寂しくて堪りません。


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