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ジェリー藤尾さん・逝去 [訃報・追悼]

歌手としてデビューして、俳優としても活躍していたジェリー藤尾さんが肺炎
のために、81歳で亡くなりました。

「日劇ウエスタンカーニバル」という、伝説のような存在になったイベントで
デビューしていますが、ロカビリーブームとか、グループサウンズが全盛期の
1960年代の頃にデビューした人は、米軍キャンプでジャズやロックンロール
のバンドマンとして活動していた人が多いのですが、ジェリー藤尾さんも元々
の活動はバンドボーイとして米軍キャンプでの活動でした。



私が子供の頃には「オールスター家族対抗歌合戦」などの番組に、家族で出演
することが多く、家族円満な様子を見せていましたが、実際は妻の渡辺友子は
かなりの素行不良だったようで、家出をして離婚し、その頃にはジェリー藤尾
さんに全ての原因を押し付けていましたが、後に、娘が母親の素行を暴露して
真相が晒されたことで、ジェリー藤尾さんの冤罪は消えました。


別れた妻を庇ったがために自分自身がぼろくそに言われたというのも、酷い話
だと思いますが、ペラペラと相手の非をあげつらう人間こそが、実際には極悪
という事例が示されにも関わらず、相変わらず芸能マスコミは黙して語らずと
いう姿勢を貫く側を叩くという学習能力のないことを繰り返しているのが現状
で、芸能マスコミというロクでもない仕事はそろそろ無くすべきです。

という話はともかくとして、私が中学生の頃、音楽の教科書の他に、B6よりも
小さいサイズの歌の副読本が配布され、校内合唱大会(私が通っていた中学校
では、合唱に力を入れていて、合唱部は県大会の常連になるぐらいだったので
文化祭の時期には、各クラス毎に発表する歌を決めて、合唱大会が開催されて
いました)の発表曲を決める時には、この小さな小冊子に掲載されている曲を
歌うことが多かったのですということで少し雑談が続きます。

テレビでは山口百恵、桜田淳子、森昌子の中三トリオが人気でしたが、合唱で
「横須賀ストーリー」とか「夏にご用心」なんて歌を歌うのはいろいろな意味
で無理があるので、北山修さんが詩を書いた「戦争を知らない子供たち」とか
「風」「あの素晴らしい愛をもう一度」他には、赤い鳥の「翼をください」や
暗い感じの曲ですが「真夜中のギター」なんて感じでした。







クラスによっては、音楽にはちょっとうるさい系みたいなのがいて、そういう
個人的には好かんタイプの人がいるクラスは「レット・イット・ビー」とかね
「明日に架ける橋」なんかを歌うクラスもありましたが…って、そう言えば私
がいたクラスも「オブラディ・オブラダ」でした。この歌を推したのがクラス
で一番可愛い子だったから、文句は言いませんでした。臨機応変なんです。

そんな感じで、各クラスがいろいろな歌を歌いましたが、まず確実にどこかの
クラス(三学年で、各学年6クラスなので18クラスありました。)が選択して
歌っていたのが、亡くなったジェリー藤尾さんの「遠くへ行きたい」でした。



曲調は物悲しい感じですが、歌われている歌詞は、知らない街を歩いてみたい
とか、知らない人と巡り会いたいとか、旅好きにはワクワクする内容です。
自由に旅行する時間も、お金もない中学生には夢のある歌でした。

会社員として勤めて、定年後には知らない街へ旅してみたいなんて考える人も
いるかと思いますが人間って意外に簡単に死んじゃう動物なんですよね。
この一年程の間に、まだまだ平均寿命までは何十年もある人が五人亡くなって
定年になって時間が出来てからでは遅いんだとさらに思うようになりました。

いま、行きたいところがあったら(海外は難しいですが)可能な限りの防護を
して旅に出ることを考えた方が良いと思いますよ。

最後になりましたが、ジェリー藤尾さんのご冥福をお祈りします。


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