大人の社会見学 飛鳥編-2 [おとなの社会見学]
もいましたが、いくつか軽い食事をすることが出来るお店があります。
遺跡の近くの飲食店では、古代米を使用しているところが多くて、石舞台古墳
の近くで食べたカレーライスも白米か古代米の選択が出来ました。
あまりどこでも食べられるものではないので、こういう場合は古代米を選んで
いただくことが多いです。(料金に差はありませんでした。)
石舞台古墳を見て食事をして、明日香村の中を巡回する通称「亀バス」に乗車
して移動(近鉄で販売されているフリー切符を持っていたので、基本的にバス
利用を考えていました。)しようと思いましたが、一時間に一本しかないので
次のバスまで40分程待たなければということで歩いて亀石を目指しました。
道中には聖徳太子(厩戸皇子)が生まれた、とされる場所があり、聖徳太子が
建立に関わった橘寺があります。(実際の創建年は不詳です)
元々は聖徳太子の父であった用明天皇の別宮だった建物を聖徳太子が寺として
改築したのが寺の始まりとされていて、聖徳太子の愛馬の銅像もあります。
向かい側の川原寺が男の僧侶、橘寺が尼僧の寺ということが日本書紀にも記述
があるので飛鳥時代は現代よりも遥かに男女平等が進んだ世の中だったように
思います。一人の女性が二回も天皇になっている時代ですからね。
緩い坂道を上がったり下がったりしながら歩いて辿り着いた亀石。
花崗岩を掘って、亀の造形を造り出していますが、誰がなんのために作ったか
は解明されていませんが、亀ではなくカエルという説もあるみたいです。
もしも、カエルだとしたら語感から「帰る」に通じるので、飛鳥から滋賀方面
に遷都された都が帰るように、とか、飛鳥から全国に旅立つ人が無事帰るとか
そんな意味合いがあったのかな?とも思いますが、そもそも飛鳥時代にカエル
という生き物にカエルという名前があったかもわかりませんけどね。
有名な伝説として、現在は亀石の顔は南西を向いていますが、この顔が西側に
向いた時、この石の周辺(奈良盆地)は泥の海になるという言い伝えがあって
元々、亀は北を向いていましたが次第に方向が変わって東向きになり、現在の
南西向きになっているので、地震の影響によるものか現代の巫女の呪術なのか
は予測も出来ませんが、なにかの理由で亀の顔の方向が変わったら天変地異が
起きることになるのかも知れません。
この亀石からメインストリートを挟んで向かい側に、鬼の雪隠と鬼のまな板が
ありますが、石舞台古墳のように露出した石室の礎石と上囲いが二つに分割し
数十メートルの距離を置いて遺っているもので、以前に見たことがあったので
見には行きませんでした。
言い伝えでは鬼が旅の人を惑わせた後、まな板で料理して食べて、少し離れた
ところにある雪隠(トイレ)で用足しをしたとされていますが、さすがに少々
無理があるので、作り話であることはわかります。
今回は行きませんでしたが、約4年前に行った時には酒船石と呼ばれている謎
彫刻が掘られた巨石も見に行きました。
そんなに高い場所ではないですが、やや傾斜のきつい坂を上った丘の上にあり
5メートル以上の花崗岩の上に、六ケ所の窪みが掘られ、それぞれの窪みに溝
が掘られて繋がるようになっています。
それぞれの窪みに薬草を乗せて潰し、一カ所に集めて薬を作ったのではないか
という説があれば、薬草と酒を混ぜて薬酒だったのではないかという説もあり
薬は関係なく材料を混ぜて酒を造ったという見方もある他、水を流して木の葉
を浮かべて巫女が占いをしたとか、庭園の飾りの一種ではないかという意見も
あったりしますが、実際には真説には辿り着けていません。
江戸時代には、城の石垣用として割ろうとした形跡が残っているということで
どんな時代にも歴史遺物を破壊しようという愚か者は居たようで、国会の中に
多数存在する学術を政治利用しようとするバカと大差ないみたいです。
前述した、故・手塚治虫氏の「三つ目がとおる」の中でも、主役の写楽保介が
酒船石を使って、人間を奴隷化する薬を作るという短編がありました。
小学生から中学生の頃に読んだ漫画をかなり鮮明に覚えている反面、ここ最近
の映画などはサクッと忘れてしまう辺り…痴呆が始まりつつあるのかも。
記憶力を高めるサプリとか考えなければいけないかも知れません。
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