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F1から撤退したウィリアムズ家 [モータースポーツ]

先日のイタリアGPは、ウィリアムズF1チームにとっては特別なレースとして
アルファタウリ・ホンダのピエール・ガスリーが、初優勝したことと合わせて
F1の歴史に残ることになるでしょう。



1969年にフランク・ウィリアムズが設立したプライベートチームが1977年に
ウィリアムズF1チームとなり、それから43年間、事故によるけがのため車椅子
でパドックに現れるフランク・ウィリアムズと、チームの副代表を務める娘の
クレア・ウィリアムズが取締役として所有するウィリアムズ家のチームだった
ウィリアムズはアメリカのドリルトン・キャピタルに、190億円で売却されて
名門チームがアメリカの投資会社の傘下になりました。


ドリルトン・キャピタルはウィリアムズ家に敬意を表して、チーム副代表留任
をクレア・ウィリアムズに提案したようですが、潔くF1ビジネスからの撤退を
選んだことで、9月6日のイタリアGPが最後になりました。

サウジアラビア航空がメインスポンサーだった頃の白い車体にFly!Saudiaの
カラーリングがお気に入りで、好きなチームでしたが、アラン・ジョーンズと
クレイ・レガツォーニは地味な存在だった記憶が強いです。

その後、ホンダエンジンを搭載してケケ・ロズベルグが優勝したアメリカGPは
ホンダのF1復帰後の初優勝で、翌年以降はナイジェル・マンセルとネルソン・
ピケの二人が年間9勝してウィリアムズチームの一度目の絶頂期でした。



ホンダがウィリアムズチームとのエンジン供給を止めた後は、しばらく低迷期
に入りましたが、ルノーのエンジンが供給されるようになると、ウイリアムズ
チームの二度目の絶頂期となり、ナイジェル・マンセル、アラン・プロストが
1992年、1993年のワールドチャンピオンを獲得し、ウィリアムズへの移籍を
強く希望していたアイルトン・セナが1994年に移籍し、チャンピオン間違い
なしと言われていましたが、第3戦のサンマリノGPでコーナーを曲がらないで
コンクリートウォールに激突し、天界へと旅立ってしまいました。



ウィリアムズのチーム名が忘れられないのは、アイルトン・セナが亡くなった
時に乗っていた車だからというのは大きいと思います。

直近では最強のメルセデスのエンジンを搭載している割には遅く、2019年には
獲得したポイントが年間を通じて1ポイントのみ、という絶不調状態になって
F1のお荷物とまで言われる状態になりましたが、2020年の今年は去年よりは
上の順位で走るようになりました。

来年は新車の開発は禁止になっているので、それぞれのチームが今年の仕様で
競うことになりますから、来年は多少のポイントは稼げるかもしれません。
名門復活はなかなか厳しいかとは思いますが、メルセデスのエンジンを積んで
戦うわけですからね、そろそろウィリアムズも見せ場が欲しいですよね。


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