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1980年のヒット曲 最終回 [音楽]

私が住んでいるあたりは繁華街もなければレジャー施設も映画館もないという
ドローカル地方都市で普段から休みであろうが人通りのないシャッター商店街
しかありませんから、特に人通りが減ったという印象はありません。

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さすがに飲食店はありますから、そういうお店は予約がキャンセルになったり
少なからず影響があると聞いているので、やっぱり一律の補償は必要であると
思いますし、一般の会社員で休業していないとしてもマスクや消毒液など衛生
用品は通常のメーカー希望小売価格(一般的な定価)で購入することは困難な
状況ですからね、支出額は確実に増えていると思います。
自殺者が増えようが財政再建が大切という政権は国民に必要か?
それ以上は個々人の考えることなので、ここでは書きません。

国民の声に耳を傾けないような裸の王様の耳は多分、ロバの耳なんです。
王様の耳はロバの耳、イソップの話のように真実は隠し切れないものです。


1980年のヒット曲の最終回の話をして行きます。
※ この頃はテレビやラジオで歌番組が多かったので、好きな歌、印象深い歌が
  多くて、なかなか進みませんでしたが、ようやく終わります。

39位に入っているのが「TOKIO」沢田研二さん。
元旦にいきなりパラシュートを背負って歌い出したのでビックリしました。
着ている衣装にも派手な電飾が施されていて、あんな格好で感電しないの?と
他人事ながら心配してしまった無垢な高校生でしたね。あの頃は。



40位は「ロックンロール・ウィドウ」山口百恵さん
松田聖子さんの曲が上位にランクされ、山口百恵さんの作品はこの曲の40位が
この年の最上位になりました。41位「さよならの向う側」48位「謝肉祭」
結婚・引退が発表され、11月19日に結婚式が行われていて、松田聖子さん世代
への代替わりがランキング上でも顕著に表れています。



21歳で引退ですからね。芸能人が自殺したり事件の被害者になっても稼ぎたい
メディアやプロダクションはなんとしてでも引き止めたかったでしょうが強い
意志が完全な引退を実行させたんでしょうね。

引退前に発表された自叙伝「蒼い時」では夫の三浦友和さんとの初体験の様子
も書かれていて、作られたアイドルではなかったことが感じられます。
初体験の相手と結婚した芸能人って多分、希少な存在だと思います。

42位は「ヒゲのテーマ」たかしまあきひこ&エレクトリック・シェーバーズと
書いても今一つわからないかも知れませんが、先日、亡くなった志村けんさん
が加藤茶さんと一緒に「8時だヨ!全員集合」の中で踊っていたヒゲダンスの
曲のことです。YouTubeで志村さんの生前のコントを見ていると、本当に残念
としか言いようがないです。派手なコントが出来なくなったとしても生還して
欲しかったですよね。



44位に「THIS IS A SONG FOR COCA-COLA」矢沢永吉さん
事実かどうかは確信はありませんが矢沢永吉さんがCOCA-COLAが好きなので
CMソングの依頼を引き受けたという話が当時はありました。
ドゥービ―ブラザーズのメンバーとロサンゼルスでアルバムを作っていた頃が
この頃なんじゃなかったかな?今一つ記憶が曖昧ですが。



1980年のヒット曲の最後は「テクノポリス」YMO
細野晴臣さん、坂本龍一さん、高橋幸宏さんの凄腕ミュージシャンが最初から
世界で通用するというコンセプトで結成したテクノポップのバンドです。
私が余計なことを書くまでもなく大ブームになりました。



個人的には東京オリンピックの延期開催自体が反対ですが、開会式のテーマ曲
は「テクノポリス」を新アレンジ(オリジナルアレンジを推す人もいます)で
使用するのが良いという意見も見かけます。

この後、YMOのメンバーが作曲した歌が巷に溢れましたよね。
教授と呼ばれる坂本龍一さんが偉ぶることなくコントもするのを見て、本当に
賢い人は賢く見せようとしなくても賢いことがよく理解できました。


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