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1979年のヒット曲 後編 [音楽]

1979年の年間13位だった曲から続けます。
13位は甲斐バンドの「HERO~ヒーローになる時、それは今」です。
「バス通り」でデビューして、この曲がヒットするまでに「裏切りの街角」や
「氷のくちびる」などの曲があった甲斐バンドが、セイコーのCMソングへの
参加を決めて正月からCMがオンエアされました。



個人的に甲斐バンドが好きだったので、生まれて二度目に行ったコンサートは
甲斐バンドでしたが、「HERO」が大ヒットしてしまったため全国ツアーの度
にコンサートに行こうと思っていましたが、チケット争奪戦(私が高校生の頃
コンサートのチケットは発売日に電話をしなければならなかったために回線が
繋がらなくてチケットが取れないなんてことは普通にありました)に惨敗して
なかなかコンサートには行けませんでした。


名古屋のイベンターのサンデーフォークが会員制の組織を作ってからは優先で
チケットを買えるようになったことで割と行けるようになりましたが、現在の
ようにネットで会員先行予約とかが出来るのは素晴らしいと思います。

18位には今は亡き桑名正博さんの「セクシャル・バイオレットNo.1」が入り
同時期に化粧品のキャンペーンで流れていた、柳ジョージとレイニーウッドの
「微笑の法則」が45位になっています。



ワイルドでセクシーな桑名正博さんは女性の支持が多く、渋い歌声のブルース
が持ち味の柳ジョージさんは男性の支持が多かったので化粧品のCMソングは
桑名正博さんの方が売れたのかな?なんて思います。



桑名正博さんが脳幹出血によって亡くなるよりもかなり前に、柳ジョージさん
は肝硬変の合併症の腎不全で亡くなっていて、残念な話です。
「青い瞳のステラ1962年夏…」とか「遺言」とか好きでした。
先日亡くなった志村けんさんも柳ジョージさんのファンの一人でした。

21位の「アメリカン・フィーリング」はサーカスの代表曲の一つですね。
初めて飛行機に乗ったのはもっと後でしたが、子供の頃から空への憧れが強い
非行少年ならぬ飛行少年でしたから、JALのアメリカキャンペーンのCMで
流れていた「アメリカン・フィーリング」は大好きな曲でした。
※ 別にアメリカに対する憧れは全くありませんが、航空会社はJALが好き
  なので基本的にはJALを利用するようにしています。



26位には沢田研二さんの「カサブランカ・ダンディ」が入っています。
聞き分けのない女の頬を一つ二つ張り倒してとか、今だった激しく叩かれると
思われる歌詞でしたが、男がピカピカの気障でいられた~ということで一昔前
を懐かしんで、ボギーあんたの時代は良かったと男尊女卑ではなく今なら否定
されるかも知れませんが、男は男らしくしなさいと言われた時代の歌でした。



この歌が大好きだった同級生がいましたが、30歳になる前に突然死してしまい
人間生きてるうちが華なんだなとリアルに感じた出来事でした。
いつ何が起きるのかわかりませんから、悔いのないようにやりたいと思ったら
今この時にやっておこうと考えるようになったきっかけになったことでした。

1979年のヒット曲の最後は35位のチューリップの「虹とスニーカーの頃」
「心の旅」が大ヒット、「風のメロディ」とか「青春の影」「サボテンの花」
などが好きだったチューリップのヒット曲です。



解散したり再結成したりしながら長い活動歴がありましたが、主要メンバーの
安部俊幸さんが脳出血で亡くなってしまったのがとても残念です。


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