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1978年のヒット曲 後編 [音楽]

昨日まではランダムに思いつくままという感じでしたが、それではあまりにも
散漫な感じなので少しは順位に沿って話をして行くことにします。



1978年の1位から3位は昨日も書いたように、ピンクレディーが表彰台独占と
いう形になりましたが4位に入ったのは「君のひとみは10000ボルト」
この頃は資生堂とカネボウ化粧品(事業の経営破綻に伴いカネボウは解散して
しまったためカネボウ本体はクラシエになり、屋台骨を支えていた化粧品部門
は花王の子会社になっています)のキャンペーンソングが、ヒットチャートの
上位を争っていた頃でした。


「君のひとみは10000ボルト」は資生堂のキャンペーンソングで、まだアリス
のメンバーだった堀内孝雄さんが谷村新司さんが病気療養中だったこともあり
ソロシングルとして発売されたものです。



5-6位は飛ばして7位になったのが「カナダからの手紙」
平尾昌晃さんと弟子の畑中葉子さんがデュエットしてヒットしました。
当時、高校生だった私から見て絶対にこの二人は子弟ではなく、出来ていると
確信していましたが実際にどうだったかという話は聞いたことがありません。



9位には矢沢永吉さんの「時間よ止まれ」が入り、これまた資生堂のCMソング
で不良のボス的な見方をされていた矢沢永吉さんが正当な評価をされるように
なったきっかけの作品だったと思っています。

高校の同級生の中には暴走族の兄ちゃんとかもいましたが、彼らのペッタンコ
のカバンにはE.YAZAWAのステッカーが貼られていて、好きな音楽の話になる
と「永ちゃん」が当然でしたから、真っ当な人だとは思っていませんでした。
その後、著書の「成り上がり」を読んで、矢沢永吉という人は単なるやさぐれ
な人ではなく、しっかりとした哲学を持った人なんだと気付いたわけです。

この年はサザンオールスターズが「勝手にシンドバッド」でデビューしていて
最初に見た時は長門裕之によく似た兄ちゃんが早口で何を言っているのかよく
判らん歌だなぁ~という印象で、コミックバンドだと思いました。
但し、そう思ったのは絶体に私だけではあるまいと今でも思っています。

この頃はCMソング(商品のイメージに合わせて曲を作るという形であって現在
主流の既存の曲を当てはめるタイアップではありませんでした。)のヒットが
目立っていた頃で、50位の中の大半がなんらかのCMの歌でしたから、作品を
聴くと商品を思い出すという歌が多いのが特徴かな。

「旅立ち」でデビューした松山千春さんの大ヒット曲はこの年の26位になった
「季節の中で」ですが、この歌はグリコのチョコレートの歌でした。



1978年は50位以内に洋楽が二曲入っていますが、24位の「ストレンジャー」
は曲を聞いただけで行ったことのないニューヨークのイメージが湧きあがって
くるような都会的な音楽で、ビリー・ジョエルってすごいと思いました。



もう一曲の「恋のナイトフィーバー」は(翌日の日曜日は休みだから)土曜の
夜はフィーバーしようのキャッチフレーズでヒットした映画の挿入歌です。
タイトルは「サタデーナイトフィーバー」です。



この頃はまだ週休二日制は定着していなくて、一般企業は土曜日も仕事なので
唯一の週末である土曜日には着飾ってディスコ(今はクラブと言いますね)で
スターになるという青年をジョン・トラボルタが演じていました。
今ではフィーバーと言ったらパチンコ?とか言われそうですけどね。

急性の心臓の不調で倒れた際には心臓マッサージとAEDの使用で救命率が向上
していますが、心臓マッサージのタイミングは、サタデーナイトフィーバーの
「ステインアライブ」のリズムが最適だと心臓の専門医が発表したという話が
何年か前にありましたが、実際に「ステインアライブ」を聞きながら実施する
勇気のある人は多分いないと思います。



延々と長くなってしまうので、まだ話に出ていない作品もたくさんありますが
1978年編はここまでにしようと思います。


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ゆうのすけ

1978年は まだ小学生でしたが 流行歌がジャンルや世代にとらわれずに 芸能界も華やかかりしころ!
もう歌番組が楽しみで!芸能界のも憧れを覚えた頃で この年のヒット曲は洋邦問わず結構聴きましたね。(今でも大好き!^^)
by ゆうのすけ (2020-04-05 04:54) 

ヨッシーパパ

青春真っ盛りでした。
ディスコは、六本木のキサナデューが流行でした。
by ヨッシーパパ (2020-04-05 18:38) 

てんてん

丁度20歳、僕のど真ん中です♪
by てんてん (2020-04-05 21:11) 

suzuran

ゆうのすけさん:
コメントありがとうございます。

あの頃の歌番組はジャンルとか関係なく、有線のリクエスト回数だとか
レコードの売り上げ、リクエストなどで順位が付いていたので恣意的な
偏りがなくていろいろな歌が聴けましたね。

演歌も聴くと良いじゃん、みたいなのもあり、逆に爺ちゃん婆ちゃんも
ロックに目覚めるとか文字通りに皆で音を楽しめました。

by suzuran (2020-04-06 00:43) 

suzuran

ヨッシーパパさん:
コメントありがとうございます。

当時は高校生でしたが同級生の中には名古屋のディスコに行っていると
豪語していたのもいました。(踊れたかどうかは疑問ですが、ナンパの
成功率は高いと威張ってました)

自分自身は高校卒業後に新宿のディスコに行って、田舎のネズミぶりを
発揮(見てるだけ)して帰ってきました。

by suzuran (2020-04-06 00:46) 

suzuran

てんてんさん:
コメントありがとうございます。

一番活気にあふれていた若い頃の記憶の方が鮮明のような気がします。
いろいろな初めてを体験して、一番人として成長する時なので記憶も
はっきりしているのでしょうか。

by suzuran (2020-04-06 00:48) 

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