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1978年のヒット曲 前編 [音楽]

年齢がバレちゃうわけですが、別に年齢がバレたらどうだというわけでもない
ので書いちゃうとこの年から私は高校生になりました。

高校生になったら中学生との時と何が変わるのか?と言えば、特に何も変化は
ありませんでしたが、クラブ活動は演劇部に入りました。

sailor_girl.jpg

中学生の時は最初に卓球部に入りましたが、運動部特有のなにがあっても先輩
が最優先というバカバカしい決まりに付いていけなくて夏休み前に辞めたので
事実上クラブ活動は不参加、卒業写真にどこかのクラブ活動の写真が必要だと
いうことで、剣道部で写真を撮ったという適当なものでした。


が、高校生になったら演劇部に行く決めていたので三年間、授業よりも熱心に
参加したのでした。(コンクールは三年間予選落ちでしたけどね)
自分のプロフィールの話をしているわけじゃないので、演劇部の話はともかく
としてオリコンランキングの話に戻します。

1978年はピンクレディーの絶頂期で一年間の50位までの中に5曲がランクイン
1位から3位がピンクレディーでした。1位がUFO、2位がサウスポー、3位には
モンスターが入って6位に透明人間、前年の流れを引きずってウオンテッドが
35位ということになっています。



ピンクレディーがこれだけ歌謡界を席巻したこともあってか、キャンディーズ
は「普通の女の子に戻りたい」という名セリフを残して解散しました。


微笑がえし 年間5位

この頃からフォークでもないロックでもないニューミュージック(その流れが
J-POPというジャンルになったわけですよね)という系統が出てきてツイスト
とか、アリス(デビューしたのではなく全国のライブの積み重ねで培った人気
が一気に花開いた感じです)、デビュー以降シングル盤三作を連続で発売して
大人気になった原田真二さん(ツイスト、原田真二、Charで、ロック御三家
なんて平凡や明星などの芸能雑誌で表現されていましが、そんなの覚えている
人はいるのかな?と思っちゃいます。)そして「飛んでイスタンブール」から
「モンテカルロで乾杯」しちゃった庄野真代さんまで、従来の歌謡曲の枠から
超えた人たちがたくさん出てきた印象があります。


冬の稲妻 アリス 年間16位


飛んでイスタンブール 庄野真代 年間19位


Time Travel 原田真二 年間50位

ツイストはデビュー当時は世良公則&ツイストでしたが、よりバンドとしての
音を作っていきたいという理由だったような気がしますが、ツイストに改名し
それでもやっぱり世良公則が前面に出ての活動だったように覚えています。

「あんたのバラード」が、世界歌謡祭(ヤマハ主催)のグランプリを獲得して
デビューして「宿無し」「銃爪」(=ひきがねと読みました。)とヒット曲が
続きましたが、数年で解散しちゃいましたね。


あんたのバラード TWIST 年間25位

1977年のことも書きたいことはまだありましたが、1978年はさらに書きたい
ことがたくさんあるので、今回は前編にして明日、続きを書くようにします。

今回はピンクレディー、キャンディーズ、ツイスト、アリス、原田真二さんと
庄野真代さんについて触れました。


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mio

わたしが一番最初に惚れた芸能人が世良公則でした。
「ちょっと不良っぽいところがかっこいい」と思って
いたんですよね。当時小4ぐらいだったわたしからみた
23歳の世良公則はものすごく大人で怪しい魅力の男性
だったなぁ。
by mio (2020-04-04 16:00) 

suzuran

mioさん:
コメントありがとうございます。

そうですね、私の同級生の女子の間ではワルっぽい世良公則派と裕福
な王子様系の雰囲気だった原田真二派で分かれていました。
世良公則は空手の型のようなフリが男子にも人気でしたが原田真二は
女子ウケする要素が多すぎて敵視するのが多かったです。
※要するに勝ち目のない相手には嫉妬しかないって感じでしたね。

御三家のはずのCharは人気薄でしたが、元々からギタリストとして
演奏を前面に出していた人でしたから御三家の中に入っていること
自体がなんとなく違和感がありました。

by suzuran (2020-04-04 22:43) 

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