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ブルース・リーの没後46年目の夏 [シネマクラブ]

ブルース・リーという名前を聞いても、それは誰なの?と思う人が増えていて
亡くなってから既に46年目になるということにも興味のない人が大多数という
状況になっているのが現実かも知れませんね。

Bruce Lee monument.jpg

1973年7月20日、台風が近付く香港の病院に意識不明の状態になった男性患者
が搬送され、救命治療の甲斐もなく逝去してしまったのが、香港で巨星と形容
されていたブルース・リーだったのです。

まだ、日本では「燃えよドラゴン」が公開される前だったので、日本では全く
無名の存在でしたが、香港の映画界、そしてブルース・リーとは師匠と弟子の
関係だったハリウッドスターの間では一大事な出来事でした。


それまで見たこともなかったヌンチャク(中国武術の武器など、武術の心得の
ない一般人には未知の世界でした)を使った格闘シーンや、怪鳥音と呼ばれた
ブルース・リー自身が発する声などアクション映画と言うよりは、格闘映画と
いう感覚の強い「燃えよドラゴン」がカンフー映画として日本で公開された時
には主演のブルース・リーは、すでに他界していました。



最新作であり遺作でもある「燃えよドラゴン」の後で、それ以前に香港で公開
されていた「ドラゴン危機一髪」「ドラゴン怒りの鉄拳」そして、主役である
ブルース・リー自身が監督をしてローマでロケハンをして(予算の制約で現地
の撮影許可を得ることはなく、密かに撮影したローマ市内の映像を挿入したり
スチール撮影した写真を香港のスタジオ内に引き伸ばしてコロッセオの雰囲気
を作り出している)低予算ながら海外の設定を作り出した「ドラゴンへの道」
が日本でも公開されました。

実際には「燃えよドラゴン」のオープニングシーンで、サモ・ハン・キンポー
(現在も現役俳優として活動中)と御前で試合をするシーンが本当の意味での
最後の姿だったわけですが、日本においては最後のブルース・リー作品として
「ドラゴンへの道」が公開されたわけです。

ブルース・リーのことを書き始めたら何の資料も必要なく、いつまででも話が
出てきますが、亡くなってから46年も経った人のことをいくら熱く語ろうとも
生きて蘇るわけもなく寂しい話でございます。

まだ香港へ行くなんて夢のまた夢の時代に映画で見て、なんとか一度香港まで
行ってみたいと思っていましたが、実際に行ってみると飛行機で約四時間ほど
の距離で、さらに想像していたような雑踏とかジャンクとかは跡形もなく東京
を凌駕する大都会へと変貌していて、ブルース・リーが存命中に建てた邸宅も
当初は改装されてラブホテルになっていましたが、オーナーがファンクラブの
要請に応えて転売することに同意したという話がありましたので、現在は再び
改装されてブルース・リー記念館になっているはずです。

ご本人の遺体は香港から東京経由でシアトルに空輸されて埋葬され、撮影中の
事故で亡くなった長男のブランドン・リーと同じ墓地で眠っています。



映画に興味を持ち、海外に行くということを趣味にするようになったきっかけ
の一つである「燃えよドラゴン」という作品と、その主演俳優であり監督でも
あったブルース・リーは、私が死ぬ時まで記憶から消えることはないです。


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リス太郎

私もブルース・リー(李小龍)のことを語りだすとキリがないので語りません。(語らへんのかいな)
by リス太郎 (2019-07-31 19:40) 

suzuran

リス太郎さん:
コメントありがとうございます。

遠慮なく語って下さい。
by suzuran (2019-07-31 21:07) 

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