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アイルトン・セナが亡くなって25年 [訃報・追悼]

1994年5月1日、このシーズン第三戦になるサンマリノGPが開催された
イモラサーキットでアイルトン・セナが事故死した日です。



今から25年前のことで、干支で言えば二回り以上も前のことですが、当時の
事故映像を見た時のまさかアイルトン・セナが?という驚きはかなりのもので
あの強引ではあるけれど、事故に対する意識の高いアイルトン・セナが生死に
関わるような事故に遭うなんてことは思いもしていませんでしたから、本当に
言葉が出ませんでした。


アイルトン・セナが亡くなったという話を現地レポーターが伝える映像を見て
家族でもなく、実際に会ったこともない人が亡くなったのにどうしてこんなに
涙が出るのだろう?と自分で不思議なぐらい涙が出たのを覚えています。

事故直後にヘリコプターからの映像が映った時に、わずかに頭が動いたような
感じがしますとアナウンサーが言いましたし、実際に頭が動いたように見えた
わけですが、その後の検視結果の発表によれば事故の直後に衝突による衝撃で
ヘルメット内で頭部に強い圧力が加わり複数の個所で頭蓋骨骨折が起きていた
ことと、衝突した際に破損した部品がヘルメットを貫通して頭部に深く刺さり
脳に致命的なダメージを与えたということで、衝突の瞬間にヘルメットに防護
されているはずの頭部(脳)に複数の致命的な怪我を負ったことにより即死の
状態だったことが明らかになりました。



サーキットのコース上で亡くなったことが認定されるとレース自体を中止して
事故の原因究明を行う必要があるという大人の事情によって、脳死状態だった
アイルトン・セナは気管切開によって気道が確保されて、いわゆる植物状態で
病院に搬送され、脳死による全身症状の悪化により機械による心肺蘇生に限界
が出た時点で死亡宣告を受けていたということになります。

アイルトン・セナ本人の意向で死亡時には臓器移植の意志を示すドナーカード
を所持していたものの医学的理由により全ての臓器が移植には使えなかったと
いう話がありましたが、即死状態で死亡宣告を受けていなかったがために臓器
の状態を確認するまでに時間がかかってしまい、意思を活かして移植を待つ人
に提供することは出来なかったということになってしまったようです。

事故の後、御大ニキ・ラウダやセナのライバルだったアラン・プロストなどの
働きかけによってF1の安全性は向上し、鈴鹿サーキットで事故車を移動中の
重機に衝突して脳に重篤な怪我をして亡くなったジュール・ビアンキの事故が
起きるまでレーシングドライバーが亡くなる事故は起きませんでした。

車体についても現在はドライバーに破損部品などが当たることを避けるために
ドライバーシートを保護する形でHaloという安全装置の取り付けが義務に
なったことで、昨年マクラーレンの車が宙に浮いて後続の車に衝突する事故が
起きた時もドライバーは無傷で守られました。

もしも、Haloがなかったらドライバーを後輪部分が直撃して、死亡事故に
なっていたかも知れません。これからもより安全策を向上させてドライバーが
亡くなるようなことはないようにしてもらいたいものです。

最後に呪いとかは全然信じませんが、アイルトン・セナが事故死した時に所属
していたウィリアムズチームが、今年全く良いことなく五月までの一か月ほど
経過しているのがちょっと気になります。

アイルトン・セナの命日が過ぎたら、唐突に調子が良くなるなんてことがもし
起きるようなら、この世の中には呪いというか祟りというか、とにかく故人の
残した悔しい思いが形になって現れることもあるんだと思うでしょう。


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