12月8日はジョン・レノンの命日 [訃報・追悼]
強く受けるようになってきていますが、今から38年も前の12月8日に
ジョン・レノンが射殺されたことは、ほんの数年前の出来事のように鮮明
に覚えています。
ニュースで見て、新聞で読んでニューヨークは怖いところだと、以前から
聞いてはいたものの愛と平和をテーマに作品を作り、決して過激な言葉で
メッセージを発するようなこともないのに、世界の音楽界に大きな影響を
与えた詩人が警備員の常駐する自宅の前で射殺されるなんてことは、誰も
想像すらしていなかったのではないかと思います。
ジョン・レノンを殺害したマーク・チャップマンはジョン・レノン本人に
対して面識があったわけでもなくジョン・レノンの伝記を読んで、勝手に
金持ちの嫌な奴だと妄想の中で怒りを高めて、特に理由があったわけでも
なくジョン・レノンを殺すことで有名になることが目的だったという発言
をしているために、精神病患者として責任能力が問われることになるかも
知れないという話もありましたが、正式な裁判を経て無期刑(最大終身刑
になるものの仮釈放の申請は可能)の判決を受けて収監されました。
当然、現在も刑務所に収監され今年も通算で10回以上になると思われる
仮釈放申請をしましたが却下されていますし、もしも仮釈放された場合は
マーク・チャップマンの殺害を示唆する声もあることから、獄死するまで
仮釈放は認められないでしょうね。
この日は甲斐バンドのコンサートの日で、後日、このコンサートの様子を
放映したNHKの番組では、コンサートを終えて舞台袖に引き上げた際に
ジョン・レノンの訃報が掲載された新聞を見て、一瞬動きが固まった後で
新聞を破り捨てアンコールの声がかかるステージに戻り「逝ってしまった
ジョン・レノンのために」と観客に向かって告げた後100万$ナイトを
唄う甲斐さんの姿が流されました。
チューリップの財津和夫さんなど多くの日本のミュージシャンにも影響の
大きかったビートルズの中でも、大半の詩を書いていたジョン・レノンの
死亡記事は私よりも一回り上の世代の人には、本当に大きな衝撃を持って
受け入れられたことと思います。
余談ですが、この事件の17年前の1963年12月8日にはプロレスの
大スターだった力道山がナイトクラブでヤクザに刺され、一週間後に死亡
するという当時の日本での一大事が起きた日でもあります。
強がったのか、本当に動じなかったのかは本人しかわかりませんがナイフ
で刺された後も酒を飲み続け、すぐに病院に行かなかったために傷口から
雑菌が入ったためだという説もあれば緊急で縫合手術をした医師の不手際
で腸の癒着が起こり腸閉塞を起こしたため、再手術をした際に漏れ出した
腸の内容物が腹腔内に広がったのが原因という説もありますが、化膿性の
腹膜炎が死因ということなので、原因とされていることが理由だったのは
間違いない感じです。
後半はジョン・レノンとは全く関係ない話なんですが、12月8日を特別
な日だと感じている人は多いような気がします。
コメント 0