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香港映画の父・レイモンド・チョウ氏が死去 [訃報・追悼]

ブルース・リー、ジャッキー・チェンを世界的スターに育て上げ、香港の
カンフー映画を一つのジャンルにまで盛り上げた、映画プロデューサーの
レイモンド・チョウ氏が91歳で亡くなりました。

元々は新聞記者だったレイモンド・チョウは香港で最大かつ唯一と言える
大手映画会社のショウ・ブラザーズに入社しましたが、自分の感覚で映画
を作るのは大きな組織の中では難しいということで、会社を退社して独立
ゴールデン・ハーベストを立ち上げました。

その頃、アメリカに渡っていた子役出身の俳優のブルース・リーが香港に
帰国したため、ゴールデン・ハーベストが専属契約を結びブルース・リー
の香港帰国後最初の作品になる「ドラゴン危機一髪」と「ドラゴン怒りの
鉄拳」の二作が公開され大ヒット、ゴールデン・ハーベストが香港最大の
映画会社に発展する基礎を築きました。




ゴールデン・ハーベストを選んだ理由として、ショウ・ブラザーズからも
オファーがありましたが香港映画の通例として悪役が日本人で虐められた
中国人が復讐を果たすというストーリーばかりが提示されたため、新興で
作品の幅に柔軟性のあるゴールデン・ハーベストを選んだという話です。





ブルース・リーが亡くなった後、「THE MAN FROM HONGKONG」が公開され
メインテーマ曲として発表された「スカイハイ」と同じようにそこそこの
ヒット作品になりましたが、もしかしたらブルース・リーが突然の死去と
いうことがなければ、もしかしたら、この映画の主役はブルース・リーが
演じていたかも知れないですし、全く違う内容の作品として作られたかも
知れないというように考えています。



ブルース・リーが亡くなった際、ちょうど映画の契約と打ち合わせのため
香港にいたジョージ・レーゼンビー(スカイハイの悪役クイントン役)が
ブルース・リーの葬儀に出席している様子の写真が公開されていることも
あるように、ブルース・リーの存命中に「死亡遊戯」を含む複数の作品に
出演する方向で契約が進んでいたこともあり、ジョージ・レーゼンビーと
ブルース・リーが共演することは確定していたわけです。

そんな訳でブルース・リーの突然の死去という会社にとっての一大事でも
冷静に契約を履行し、それなりに興行成績も確保したレイモンド・チョウ
というプロデューサーは並みのプロデューサーとは違って企画力や判断力
の優れた人だったというように見ています。

稼ぎ頭のブルース・リーを突然の急病(脳浮腫)で失い、会社存続の危機に
なった時にゴールデン・ハーベストと専属契約を結び新たなスターとして
ハリウッド進出も果たしたジャッキー・チェンでした。



ブルース・リー、ジャッキー・チェンと専属契約を結びつつ、香港と台湾
で人気のあったジミー・ウォング(王羽=ワンユー)やブルース・リーと
関係の深いサモ・ハン・キンポー、ユン・ピョウなど多くの香港スターと
映画を作ってきた「香港映画の父」とも言われる存在でした。

ジャッキー・チェンのハリウッド進出の理由の一つとして、香港の黒社会
が人気が上昇しているジャッキー・チェンに目を付けて用心棒代を要求し
それに従わなければ殺害するという脅迫をしてきたために、ジャッキーの
安全を確保するためにアメリカに逃がすためだったという話があるように
行動的なプロデューサーであり会長だったことが知られています。



今でこそ煌びやかで世界の金融市場で大きな存在になっている香港ですが
九龍城があった頃は危険な香りに包まれていた部分もあり、あり得る話と
思いますし、死亡遊戯でも描かれていたように香港の黒社会は芸能界にも
深く入り込んで利益を得ていたようなので、日本の芸能メディアでは報道
されていませんが、不審な怪我をした芸能人がいる、という噂もあるので
昔の香港は魔界都市だったイメージがあります。

1990年代から映画製作から手を引いていますが、それでもやはり香港
では偉大なプロデューサーとしてジャッキー・チェンも追悼のコメントを
発表していて、今でもその存在に敬意を払う人は多いようです。

天国でブルース・リーと映画製作を再開しているかも知れませんね。


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