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映画「ボヘミアン・ラプソディ」 [シネマクラブ]

1991年に45歳で亡くなったフレディ・マーキュリーが、クィーンに
参加し、ヒット曲が出るまでのデビュー後からヒットを連発して世界規模
の人気ロックバンドになった後、グループのメンバーの間で表に出される
ことのなかったメンバーとの確執等を映画化したフレディ・マーキュリー
の自伝映画が「ボヘミアンラプソディ」です。



日本でアイドルにされてしまったベイシティローラーズの来日コンサート
で失神者が出て大騒ぎになった頃、私が中学生だった時代でしたが同級生
の女子の中にクィーンのファンがいて、ベイシティローラーズなんて芋よ
なんて、サラダキノコちゃんみたいな発言をしていましたが、1976年
以降、ベイシティローラーズの人気は陰り始め、評論家の評価が低かった
クィーンの評価が急上昇して、男子の中にもクィーンって良いじゃないと
言い始めるのが現れてきました。


田舎の中学のことなので、日本全体がどうかなんてことはわかりませんが
英国では評論家の評価が低く、それでも人気はそこそこのクィーンは日本
においては女性を中心に人気を集め、クィーンがブレイクするまでずっと
支えたのは日本のファンだという自負する人が多かったように思います。

クィーンのメンバーもそれは理解していて歌詞の中に日本語を織り込んだ
「手をとりあって」という曲を発表しています。



ロックバンドのメンバーというと粗野なイメージが強いのに対しクィーン
のメンバーには落ち着いた好青年のイメージがあったのと、ギタリストの
ブライアン・メイは博士号を持つ物理学者という知的な経歴もあったので
一般的なロックファンとは違った人たちにも受け入れられたことが日本で
成功した理由の一つかも知れません。





低評価から一転して高い評価を受けるようになり、映画のテーマ曲なども
手掛けるようになったクィーンは世界各地で数十万人規模のコンサートを
開くメジャーグループになりましたが、1991年11月24日にHIV
の感染による免疫不全から発症するカリニ肺炎(現在は原因菌が違うこと
が解明されてニューモシスチス肺炎と名前が変わりました)により45歳
の若さで亡くなりました。

Freddy Mercury_last.jpg

この日、私は香港に行く飛行機の中でフレディ・マーキュリーさんが死去
という新聞の見出しを読んで亡くなったことを知りましたが、当時は現在
のようにインターネットがあるわけでもなく、NHK-BSが見られると
いうこともなかったので、香港に滞在中は詳細を知る術もなくて四日後に
日本に帰るまで、気がかりになっていたことを今でも覚えています。

というようなグループの活動時の出来事が映画にまとめられていて出演の
キャストがメイク技術の進歩もあり、メンバーになりきっているのも凄い
映画に仕上がっていると予告編を見て思いました。

熱狂的なファンでもなかった私でもクィーンの曲はベストアルバムに収録
されている程度は憶えていますので、クィーンのファンにとっては涙もの
の映画なんじゃないでしょうか。

ジュラシックパークの第一作で、コンピュータを使いこなすお姉ちゃんと
一緒に島から脱出した弟を演じていたジョセフ・マッゼロがベーシストの
ジョン・ディーコンを演じていますので、興味のある方は成長ぶりを確認
することが出来ます。



11月9日からの公開が楽しみですが、この映画については諸事情により
観た後で内容について書くことはしないつもりです。
感想を書くほど冷静に見られないような気がしますので。


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