クリトリスにバターを [コミック・アニメ・本]
である「限りなく透明に近いブルー」の原題というか、元々の題名です。
村上龍氏のあの小説は文学少年ではなかった私でも読んだぐらいですから
芥川賞を受賞した当時はかなりの人が読んだのではないかと思いますが、
内容的には高校の図書館にも置いてあったのが不思議なぐらいの官能的な
小説(体験が投影されているのでリアル)でした。
日本最高とされている権威ある文学賞を受賞したとはいえ、内容といえば
退廃的なセックスとドラッグに浸かった集団生活を描いたもので、最後に
世俗的な社会へと飛び立つというポジティブな方向性を示しているものの
最後まで読まずに、美味しいトコ取りをしたとしたら、とんでもなく堕落
した人間を作り出す教科書のような本だと思いました。
アメリカ兵とのセックスで、騎乗位でペニスを膣内に挿入したままで体を
回転させられてしまい女性器が切れるとか、性的な描写がリアルで文学賞
を受賞した小説を読んで性的妄想が頭の中に広がるなんてことは大部分の
大人たちには想像も出来なかったことと思いますし、図書室の担当教師も
まさか内容が官能小説を凌ぐほどのセックス描写が続いているとは想像も
しなかったと思います。
この作品の影響があるのか、芥川賞作品って性的描写の激しい作品が割と
多くなったような気がします。
後に「エーゲ海に捧ぐ」で芥川賞を受賞した池田満寿夫氏と同時期に著者
自らが映画化をして、両作品とも映画館まで観に行きました。
限りなく透明に近いブルーの方は、なんだかドキュメンタリーフィルムの
ような質感で、二次元の小説を三次元に仕立てて等身大にしているような
潔さみたいな感覚で、新人だった三田村邦彦が新鮮な演技を見せていると
思って素直に受け入れられる映画でした。
それに対して、エーゲ海に捧ぐの方は池田氏の反骨心によって陰毛や性器
がボカシではなく、ピンクの円で隠されていて滑稽と言うか、何と言うか
作者の一種のエゴみたいなものを感じて好きになれませんでした。
※当時は陰毛の露出はご法度でしたから修正ばかりの映画でした。
現在までの人生観、セックス感の中に多少なりとも、村上龍氏のあの小説
・映画「限りなく透明に近いブルー」から得た、何かが残っているような
そんな気がしないでもありません。
中学や高校の時に読んだ小説というのは、意外なほど記憶の中に残るもの
だということに、最近になって気付くことがあります。
恋愛感、そして多くの出来事に対する対処法の中に、まだ鋭い感性だった
あの頃の記憶が反映されていることでしょう。
ナイス訪問ありがとうございます。
by 風船かずら (2018-06-27 13:11)
風船かずらさん:
コメントありがとうございます。
by suzuran (2018-06-29 08:55)