福永祐一騎手が2000勝 [競馬]
武邦彦と福永洋一という天才型の騎手が競っていた昭和40年から50年代。
通算1163勝で引退した武邦彦騎手は調教師になり、武豊、武幸四郎の
二人の息子を騎手として競馬界に送り出しました。
福永洋一は983勝で騎手を引退しましたが、競争中の落馬によって頭部
を強打した影響で競走馬に騎乗することが出来なくなったことによるもの
で志半ばでの引退となり、福永祐一を競馬界に送り出しました。
事故の直後は頭部から地面に叩きつけられ、落馬現場は舌を嚙んだことに
よる出血でみるみるうちにターフが血に染まったと伝えられるほどの事故
で命の危険も伝えられましたが、命を取り留め、一生動くことが出来ない
という話もありましたがリハビリの結果、競争は出来ないものの馬に乗る
ことは出来る程度まで回復し、武邦彦さんは亡くなりましたが、福永洋一
さんは現在も健在です。
通算1163勝で引退した武邦彦騎手は調教師になり、武豊、武幸四郎の
二人の息子を騎手として競馬界に送り出しました。
福永洋一は983勝で騎手を引退しましたが、競争中の落馬によって頭部
を強打した影響で競走馬に騎乗することが出来なくなったことによるもの
で志半ばでの引退となり、福永祐一を競馬界に送り出しました。
事故の直後は頭部から地面に叩きつけられ、落馬現場は舌を嚙んだことに
よる出血でみるみるうちにターフが血に染まったと伝えられるほどの事故
で命の危険も伝えられましたが、命を取り留め、一生動くことが出来ない
という話もありましたがリハビリの結果、競争は出来ないものの馬に乗る
ことは出来る程度まで回復し、武邦彦さんは亡くなりましたが、福永洋一
さんは現在も健在です。
武幸四郎騎手は騎手としての限界を感じて調教師試験を受験し、難関突破
を果たした今年の春に騎手を引退して、技術調教師として関東(美浦)の
名調教師である藤沢和雄師の下で修業中です…ということで本題です。
調教師になった武幸四郎よりも一期先輩にあたる福永祐一騎手がJRAの
通算勝利数を2000勝にしました。
天才・福永洋一の息子としてデビュー以来、ずっと「福永洋一の息子」の
目線で見られて、父親のような直感的な馬さばきが出来ないと批判されて
大切なところでミスが出て、勝ちきれないレースが多いというような評価
もありますが、気が付いてみれば2000勝を達成ということで武豊騎手
のように最年少で記録を塗り替えるということは出来ていませんが、着実
に勝利を重ねてJRA史上二位の速さで2000勝に届きました。
競馬は時速60キロで走るサラブレッドに騎乗してプロテクター以外には
身を守る物は何もない危険な仕事なだけに、落馬すれば骨折は当たり前で
後続の馬に蹴られたり踏まれたりしたら、命の危険があります。
勝利数を増やすことも重要ですが、怪我をしないことは翌日以降に仕事を
していくために最重要なことですので、比較的、落馬事故の多い福永騎手
は充分に気を付けて、怪我をしないようにしてほしいと思います。
2000勝おめでとうございました。
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