NSP・天野滋さんが亡くなって10年 [訃報・追悼]
や「冬の花火はおもいで花火」「赤い糸の伝説」等など、叙情派フォーク
の代表的存在と言われていたNSPのリーダー天野滋さん(享年52歳)が
癌を原因とする脳内出血のため亡くなって10年が経ちました。
まだまだ年齢的には井上陽水や吉田拓郎、南こうせつ達の世代よりも若い
わけですから、やはり早すぎる死という感覚が今でもあります。
NSPとして精力的に活動していた頃にも何度か入院したりして、身体が
弱いのが悔しいみたいな発言をしていたこともあったので、なかなか自由
に思い通りの創作活動が出来なかった部分もあるかと思いますが、多くの
ヒット曲と共に、記憶に残る楽曲を多く遺した人でもあると思います。
制圧されつつある病として、癌は以前ほどは重要視されなくなりつつある
と思いますが、それでもやっぱり周囲から大切な人を奪っていく脅威は、
なくなっていないわけですから、さらに早い医学の進歩を望みたいです。
寿命はあると思うんですよ、生き物なんですからね。
でも、50代で逝ってしまうのはいくら何でも早過ぎると思いました。
NSPの曲を知ったのは高校生の頃、松山千春がデビューして永井龍雲や
長渕剛なども出てきた新しいフォーク世代の頃でした。
当時、ヤマハがスポンサーになって放送されていた「コッキーポップ」と
いう番組でNSPを見ました。
さだまさしの精霊流しに通じるような、ともすれば暗いとか言われそうな
曲調の歌を聴き、情景がそのまま蘇るような詩に引き込まれました。
「夕暮れ時はさびしそう」というタイトルのその歌を聴いて、NSPの曲
を集め始め、天野滋さんのソロアルバムを買うまでになっていき、名古屋
で行なわれたコンサートにも行きました。
それぞれの曲の中にある「夕暮れ」とか「線香花火」とか「さようなら」
とかのワードが、どうしても今回の早逝と重なってしまって、生命の炎が
燃え尽きる時というのをご本人が察していたのかなぁというような感覚を
持ってしまうのですが、逝ってしまった後では何とも言えないですね。
ニューサディスティックピンクショーという題名で、地方公演をした時は
サディスティックピンクという部分をSM系のストリップと勘違いした人
で客席が埋まり、双方がミスマッチで公演中止になったとかのエピソード
もあって、コンサートでの曲間の話題がとても豊富かつ面白かったという
記憶が残っています。
同じように北国出身の「ふきのとう」と共に叙情派フォークのけん引役と
して一つの時代を築いたNSPは終焉してしまいましたが、歌は世につれ
という題名そのままに、いつまでも楽曲は残っていくことと思います。
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